『でぶ』 レイモンド・カーヴァー

『でぶ』(原題:Fat)は、カーヴァー版『雨の中の猫』だと思う。エビデンスがあるわけではないが、明らかにヘミングウェイの名短編『雨の中の猫』にインスピレーションを受けて書かれたように思える。海外サイトではそういう指摘は少なからずある。(国内でも影響を分析した論文がある)

その点については後で説明するとして、まず何より『でぶ』には魅力があり、大事なことが書かれていると感じさせる最上級の短編だと思う。読後、椅子にもたれかかり、10分ほど宙を見ながらぼーっとしてしまったほどだ。

ふとしたことをきっかけにして物事の見え方が変わり、人生が別の方向へと動きはじめる。そうした価値観の揺らぎが描かれている。書かれた時期は約半世紀前だが古さはまるでない。どうして色褪せないのか不思議に思うほど瑞々しい。

物語はレストランのウェイトレスの一人称「私」で書かれている。水曜日の夜遅い時間にえらく太った男性客が来店し、底なしの食欲をみせる。デンヴァーから来たというその男は、ちょっと奇妙で奥ゆかしい話し方をする。レストランのスタッフたちは裏で彼の体形や食欲を嘲笑うが、「私」は彼に何かを感じる。そして、それまでと明らかに変化する自分の心を知ることになる。

「私」以外のウェイトレスやコックは、この太った男性客を陰でいちいち馬鹿にする。四人組のビジネスマンが他のテーブルで会食しているのだが、この連中もあれこれと文句ばかり言う。それに比べて、この太った男性は、水をこぼされても「気にせんでいいです」とにっこり笑っている。「どうもありがとう、ご親切に」「なんともはや申し訳ありませんねえ」と謙虚な言葉しか発しない。常に相手に対する細やかな気遣いがあり、マナーも良い。

語り手の「私」は、外見だけで他人を蔑視する人間、自己中心的で権利ばかり主張する人間、テレビを見てハハハと笑っている軽薄な人間、そうした想像力や共感力に乏しい俗物に反感を抱いている。そうした観点で読むと、「私」が本来あるべき心へと戻っていく再生の物語と読むことができる。

しかし、そう簡単ではなさそうだ。『でぶ』は『雨の中の猫』の影響を受けている。どうしてかと言われると困るが、直感的に共通するものを私は感じ取った。どちらも読んだ方であれば、ピンと来た方は少なくない気がする。そこを踏まえて解釈すると、妊娠をテーマにした短編と捉えることができる。物語の冒頭で、でぶな男性の太く長い指に関する描写が出てくるが、容易に性的なメタファーであることがわかる。そうなってくると、「食べる」という行為はすべてセクシャルな比喩に思えてくる。妊娠についての匂わせだけでなく、パートナーの人間的な冷たさも、この2作品には共通している。

太った男は、会話の中で「I」ではなく「We」を使う。一人でレストランに来ているのにWeを主語にして話す。その点から、この太った男を一個人ではなく、ある種の男性の象徴と見ることができる。「私」はこの太った優しい男に惹かれていくが、「私」が見ているのは気遣いのできる優しい男の虚像に過ぎず、実際は欲望に負けて不健康な生活をやめられないダメ男かもしれない。このあたりの「理想=幻想」という含みも、『でぶ』と『雨の中の猫』は似ている気がする。原文で比較すると、その類似性がもっとはっきりするのだろうが、影響を受けていることだけは間違いないだろう。

いろいろ考えが交錯して取り留めない記事になってしまったが、短編小説を読む楽しさを充分に堪能することができた。

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