「白い象のような山並み」 アーネスト・ヘミングウェイ

「動く氷山の威厳は、水面下に隠された八分の七の部分に存する」というのは、有名なヘミングウェイによる氷山の理論だ。ここで言わんとしているのは、「何もかも事細かに書く必要などない。作家自身が主題をよく理解して書いていれば大胆に省略して構わない。書かれなかった部分は、読者が自然と感じ取ってくれる」というものだ。その通りだと思うが、八分の七という数字は大袈裟だろう。この言葉を鵜呑みにすると、ヘミングウェイの小説には八分の一しか書かれていないということになる。

「パネルクイズアタック25」というクイズ番組が昔あったが(今もある?)、番組の最後で、獲ったパネルだけ見ることのできる映像クイズが出題される。八分の一だとしたら3枚だ。22枚を想像力で補うのはさすがに厳しいだろう。ヘミングウェイは誇張した例えを用いただけだろうが、実際には八分の三は書いているように思える。まあ、多くの人にとってはどうでもいいことなのかもしれないが。

氷山の理論についての屁理屈で5百字近く書いてしまった。それこそ、八分の一にしておくべきだったか。。。

この「白い象のような山並み」という短編でも、ヘミングウェイはほとんど状況説明をせず、客観的な描写に徹している。小説として体をなしていないと思う頭の固い人もいるかもしれないが、実際には充分に体をなしている。それどころか名篇にまで高めているあたりが凄い。

「白い象のような山並み」の原題は、Hills Like White Elephants。White Elephantを直訳すると「白い象」だが、英和辞典などで調べるとすぐわかるように、「維持費のかかる厄介なもの」という意味で使われる。この短編においては、二人の間にできたお腹の子どもを指している。

スペインの地方の駅で列車を待つ間、駅の酒場で冷えたビールを飲みながら会話を交わす男女。子どもを産みたいと望む女性に対し、男は遠回しに堕胎をすすめる。直接的な表現はなくとも、読者は相容れない二人の思いに自然と気づかされる。二人の関係が夫婦なのか恋人なのかはわからない。年齢もわからない。妊娠、子ども、中絶といった言葉は一度も出てこない。スペインの田舎にいる理由も説明されない。たまたま隣のテーブルに座った男女の会話が聞こえてきたかのように、淡々と客観的に描かれている。

線路を境とした対照的な風景、交わされる一つ一つの言葉、飲む酒の種類、オーダーの仕方、それらすべてが隠喩的であり、読者の想像力を喚起する。読み進めていく中で、ぼやけていたピントが次第に合ってくるような巧妙さをこの短編は持っている。

一般的には、最後にこの女性は利己的な男の望みを受け入れたと解釈されている。身勝手な男の犠牲になる女性を描くあたりに、ヘミングウェイという作家の繊細さや複雑さを感じる。

「白い象のような山並み」は、「男だけの世界」(原題:Men Without Women,1927年)という短編集に収められている。「男だけの世界」という勇ましいタイトルの通り、この時期のヘミングウェイは女性問題に悩まされており、その反動からか男性的な作品を数多く残している。そうした作品群の中にあって、「白い象のような山並み」は女性目線でやや浮いた印象を与える。ヘミングウェイ作品をあまり読んだことがない方にとっては、もっとタフでハードボイルドな世界を期待していたのに、と肩透かしを食らった感じになるかもしれないが、こうしたフェミニンな感性はヘミングウェイの特徴の一つと言える。「雨の中の猫」や「海の変化」など、「白い象のような山並み」に似た女性的な作品には名作も多い。このブログで何度も書いているが、ヘミングウェイはけっして男臭い骨太な作家ではない。そうした志向を持っていたかもしれないが、基本的にマッチョなタイプではない。私は(肉体でなく精神の面で)マッチョな人間が苦手なので、この点については確信がある。

われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)

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