『60エーカー』 レイモンド・カーヴァー

訳者である村上春樹氏はこの『60エーカー』を、これまでのものとは傾向を異にしたハードな作品であり、まるでヘミングウェイの初期の短編を思わせると説明している。そう言われると、いつものくだけた親しみやすさやブラックジョークはなく、タイトで研ぎ澄まされた印象を受ける。

1969年に雑誌に掲載された作品で原題はSixty Acres。作品の舞台はワシントン州。自分が所有する60エーカーの土地で違法に猟をする二人組を取り締まるという、カーヴァーにしてはややハードな題材だ。ちなみに1エーカーはサッカーのグラウンドと同じくらいの広さ。

許可無しで鴨を撃っていたのは少年二人で、地主の男は彼らを捕まえる。そして居丈高に怒鳴りつけ、精神的に痛ぶった後で放免する。そのやりとりに奇妙な不穏さが漂っていて、無性に読み手を不安にさせる。

彼は連中を土地から追い出したのだ。結局それが大事なことなのだ。しかし彼にはよくわからなかった。何か決定的なことが起こってしまったような感じがするのだ。大事なところでしくじってしまったような。

でも何が起こったわけでもないのだ。

こういう表現が唸ってしまうほど巧いと思う。微妙に揺れる複雑な感情がとてもリアルだ。あまりに巧いので、昔の個人的な嫌なことを思い出してしまった。

ここでは紹介しないが、心が耐えられずに崩れ落ちるようなラストも印象的。ていうか怖過ぎる。

カーヴァーが好んで描く人物は、だいたい人生に行き詰まっている。いわゆるヘタレが多い。作者の中にそうした脱落者への優しい眼差しがあるとは思うが、読まされる方としては自身の弱さや情けなさが炙り出されるようで情緒不安定になる。この短編を含めカーヴァー作品は抜群に面白いのだが、元気をもらったことはあまりない。私はカーヴァーの愛読者だが、ファンではない理由がそこにある。『60エーカー』という短編は、表現のスタイルやテイストはヘミングウェイによく似ているかもしれないが、マインドはかなり違うのではないだろうか。

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