この1、2週間、フォークナーや中上健次の小説を「もしかして今ならグッとくるかも」という思いで何度か手に取ってみた。
結論から言うと、初めの数ページで挫折。「中上は凄い!」と信奉する人たちが、どこに魅力を感じているのかわからない訳ではないが、どうしても自分にはフィットしない。ドロドロに濃いのが苦手とか、閉塞感に耐えられないとか、まあそういうのも無いとは言えないが、元来もっと自由で柔らかな文体が好みなのだと思う。(つまりは相性の問題) カーヴァーの「ダンスしないか?」を読み始めて、すぐにそのことを再確認できた。嬉しくて思わず叫んでしまったほど、その文体は闊達で、良い意味で脱力していて、私にとって理屈抜きにチャームに溢れている。冒頭部分を紹介すると
キッチンで彼はお酒のおかわりをグラスに注いだ。そして前庭に並べた寝室のセットを眺めた。マットレスは剥き出しにされ、キャンディー・ストライプのシーツは二個の枕と一緒に洋タンスの上に並べられていた。それを別にすれば、みんな寝室にあったときとだいたい同じに見えた。ベッドの彼の側にナイト・スタンドと読書灯、彼女の側にもナイト・スタンドと読書灯。
彼の側、彼女の側。
ウィスキーをすすりながら、そのことについて考えた。
自分の家の庭先で、必要でなくなった家具を並べて売っている中年男。この数行だけで、妻が彼の元を去ったことがわかる。半ば自暴自棄な酒浸り男の話だが、文体がナチュラルで、奔放で、重苦しくない。「彼の側、彼女の側。」というどことなく詩的でポップな表現をさり気なく挿入し、読み手をふわっとラクにしてくれる。センスが良い文章だと感心するばかりだ。
もう一つ、家具に興味を示す若いカップルの次のようなやりとりがある。
「ねえ、もしこうだとしたらおかしいでしょうね?もしさ…」彼女はそう言って笑みを浮かべ、あとは言わなかった。
若者も笑ったが、何がおかしくて笑ったわけではなかった。
ストーリー上は要らないような緩いシーンに思えるが、こうした自然な描写がリアリティを醸成し、作品を立体的にしている気がする。
ラストもとても魅力的だ。(ネタバレだけど構わずに書くのでご了承を。カーヴァー作品はネタバレでも面白いからご心配なく)
彼女は会う人ごとにその話をした。しかしそこにはうまく語り切れない何かがあった。彼女はそれをなんとか言い表そうとしたのだが、だめだった。結局あきらめるしかなかった。
センスの良い締め方だと思う。
今回の記事、ここまでストーリーや主題について何も触れていないが、・・・まあいいか。一言で伝えるなら、人生いろいろあって簡単じゃないさってこと。
やるせない話なのに、ユーモアがあり、読み手をまったく退屈させない。そして深みもある。少し前に感想を書いた「デニムのあとで」もそうだが、全然頑張らなくてもスラスラ読めてしまう。何度でも読めてしまう。そして何度でも面白い。
そんな作家、他にいるだろうか?