『書くことについて』 レイモンド・カーヴァー

『書くことについて』は1981年に発表されたエッセイ。生真面目さと熱さが文面から滲み出ていて、冒頭の数センテンスだけで心を掴まれる。

長編小説がかなり苦手だったようで、集中力は続かないし、我慢してまで読むのは嫌だと正直に告白している。グズグズせずにさっさと片付ける、それが性に合っているという。カーヴァーがこのエッセイで伝えようとしているのは、「短編小説との親和性」と「常に全力で書くという原則」ではないかと思う。

子育てなど日々の生活に追われ、長編に取り組む時間が持てない。そういった事情もあったとは思うが、それ以前に、カーヴァーは(外見と違って)かなり内気な性格だったと思う。内向型人間は基本的にマルチタスクが苦手だ。私がそうだからわかる。どっかのサイトにもそう書いてあった。(根拠が薄いな) 長編小説の場合、大抵は登場人物が多く、筋書きも複雑になり、結果として読むにも書くにもマルチタスク化する。ミニマムに一つのことに注力したいタイプの人間には、それだけで相当なストレスになってしまう。

自分には長編はムリ、短編一本で行こう。カーヴァーはそう確信していたが、世の中で短編小説は軽視されがちなので、どこかで劣等感を抱いていたのだろう。コンプレックスを強みに変換してやろうという気持ちも強かったのではないだろうか。

カーヴァー、ヘミングウェイ、オコナー、カポーティ、チーヴァーといった短編で輝くタイプの作家をこのブログでは多く取り上げているが、彼らは私にとってpolestarのような存在だ。長編作家にはないシンプルで透明感に溢れた魅力を放っている。(個人的な偏った見方かもしれないが)

余談だが、polestarと言えば、Volvoのpolestar2はかっこいい。

ちなみにCarverで画像検索すると、このバイクが出てくる。(これも余談)

もとい。

カーヴァーは、もし全力で書かないのなら作家を辞めた方が良いと考えていたようだ。

「その語られた物語が、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとしたら、

どうして小説なんて書くのだろう?

結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、

我々が墓の中に持っていけるのはそれだけである」

ロックしていて熱いね。影響を受けそうだ。

全力でタイプライターに向かうことで、目の端っこでちらっと捉えた何かに生命を与えることができる。

ぴったりとした言葉を見つけ出せれば、短編小説はあらゆる音を奏でることができるのだ。

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