『ある日常的力学』 レイモンド・カーヴァー

すでに破綻した夫婦。夫が荷物をまとめて出て行く間際の赤ん坊の奪い合いを描いた短編だ。親権争いの口論といったレベルではなく、実際に赤ん坊の腕を持って力ずくで引っ張り合うという、身震いするほどの修羅場。完全に制御不能となった剥き出しのエゴvsエゴのバトルという様相で、そこには知性や思慮は皆無だ。

原題はPopular Mechanics。これはクルマや家電などの技術トレンドを紹介する有名な雑誌の名前。(何十年も前のことではあるが日本版も発刊されたことがあった) それをタイトルに持ってきたことで、この上なく不快な題材にもかかわらず、客観的でどこかコミカルな匂いを醸し出している。別バージョンも読んでみたが、内容はほぼ同じ。ただし、『私のもの』(Mine)という直接的なタイトルが与えられているため、『ある日常的力学』よりも作品への嫌悪感が読後に残った。Popular Mechanicsは敏腕編集者リッシュによる改題だが、これは成功していると思う。

口喧嘩がエスカレートし、歯止めが効かなくなり、赤ん坊の両腕を引っ張り合うという愚行を犯してしまう夫婦。その結果もたらされる最悪の事態。二人がキレていく過程の中で、赤ん坊の存在が「命」から「物質」へと変化していく怖さを感じた。

この短編の中では、夫にも妻にも赤ん坊にも名前が与えられていない。二人が別れる原因も説明されない。住んでいる町や部屋の内装や着ている服についても書かれていない。ただ、最悪の結果へと向かうプロセスだけが描かれている。読者を滅入らせる短編で、結末も不吉なため、私はこれまでこの作品を記事にしなかった。思い出すのも嫌だったのだ。かなり短い話であるのに、ここまでシンドい思いにさせられるのは、カーヴァーの巧さとも言えるだろう。

でも、どうしてこういう話を書こうと思ったのだろう? フラナリー・オコナーの影響だろうか? 著者と私はあまりにも性格が似ていないためか、その心情をまるで想像できない。うーん、どうしてなのだろう?

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