『菓子袋』 レイモンド・カーヴァー

1981年刊行の「愛について語るときに我々の語ること」に収録された短編で、元々は『浮気』というもっと長い話であったが、それを大胆にカットしたのが本作とのこと。個人的には、この時期のタイトで尖った作品群には強く惹かれる。後期の円熟味を増した作品も良いが、大御所感が漂っていてカーヴァーらしくないと思ってしまったりする。

今回、『菓子袋』はフレッシュで引き締まった好篇だと改めて感じた。正直なところ、名作『大聖堂』よりこっちの方が面白いと思う。(そう思いません、皆さん?)

『菓子袋』というタイトルからほのぼのした話を思い浮かべるかもしれないが、まったく心を温めてはくれない。それどころか冷え切ってしまうので要注意。原題はSacks。一般的には厚手の袋や買い物袋を表す単語だが、「解雇」とか「略奪」といった意味もあり、家庭の不和を暗示させるタイトルになっている。英語力が低いのであまり自信はないが。

主人公の「僕」は、会合に出席した流れでサクラメント空港で久しぶりに父親に会うことにする。両親の離婚以来、一度も会っていない。ラウンジで酒を飲み交わしながら、父親は離婚の原因となった訪問販売員の女性との事のいきさつを赤裸々に語りはじめる。

という親の不貞について聞かされる息子の話である。まったくほのぼのしてないでしょ。

父親としては、いつか息子に本当のことを伝えたいと思っていたのかもしれない。堰を切ったように、性的なことまで包み隠さず話そうとする。大人の男同士だから理解が得られると考えたのかもしれないが、息子の心情としてはやはり複雑だ。少なくとも聞いていて楽しい話ではない。

この短編を特徴づけているのは、聞き役である息子の態度だ。特に父親の告白にリアクションをとらない。母を不幸にした父を咎めることもないく、質問を返したり相槌を打ったりもしない。とにかく感情が希薄なのだ。息子は息子で家庭が上手く行っておらず、崩壊へと向かっている。怒りや不安というより、あきらめや疲れが息子を無関心にしているようにもとれる。

似たような下り坂を歩み、同じような寂しさを抱える親子。でも、それを共感するのでなく、嫌悪するのでもない。何も湧き上がってくるものがない寂しさ。読後にはひっそりとした虚無だけが残る。

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