原題はThe Tradesman’s Return。tradesmanは単に小売り商人という意味で、悪党のニュアンスは含んでいないと思う。邦題は「密輸業者」とされているため、読者は重要な情報を一つ与えられた形で読み始めることになる。「商人の帰還」でなく、「密輸業者の帰還」としたことでハードボイルド色も濃くなっている。
話の中身を乱暴にまとめると、キューバとアメリカの間で違法な酒の売買をしている二人の男が、沿岸警備隊に銃で撃たれ、痛みと先の不安を抱えながら船で漂う話だ。「密輸業者の帰還」と「ある渡航」という二編は、困窮した生活の中で追い込まれ、密輸に手を染める長編「持つと持たぬと」のベースになったことで知られている。
それまで政治や経済という社会ネタと距離を置いてきたヘミングウェイなだけに、労働者に寄り添う長編を発表したことは注目され、マルキシズムの影響が強く出ているなどと言われた。
賛否あるが、この「持つと持たぬと」の評価は著者の長編の中で芳しいものではない。三人称多視点で感情移入しにくい、従来のヘミングウェイらしいモダンさがなく効果的なメタファーも用いられていない、左派の作家になってしまった、構成上の過不足が目立つ、家族を食わすために簡単に人を殺める道徳感の無さは看過できない、などなど叩かれまくったようだ。
「密輸業者の帰還」でも、労働者が置かれた劣悪な環境、搾取する裕福な権力者たちといった階級間の格差や矛盾が描かれている。世の中的に「共産主義」に勢いがあった時代という気もするので、そのまま著者の信条として受け取らない方が良いかもしれない。
これは個人的な意見だが、ヘミングウェイの政治的な立場については、それほど明確ではないように思える。信条的に許せない奴らに抗う、という直情に従って行動していたのではないかと。それでも、子供の頃から持ち続けている鋭い善悪の嗅覚や、実際にいくつもの戦場でのリアルな体験などにより、恣意的ではないある種の深みが作品からは感じられる。
「密輸業者の帰還」は、面白さや感動とは違うが、私にとっては多くを考えさせてくる意味ある短編である。