『ドイツ難民』 バーナード・マラマッド

フラナリー・オコナーはマラマッドを大絶賛していた。

「自分を含めて、他の誰よりも優れた短編小説作家を発見した」とこれ以上ないほどに賛美している。マラマッドは1914年生まれ、オコナーは1925年生まれなので、世代的にはもろに影響を受けているのかもしれない。

マラマッドはニューヨーク出身だが、ユダヤ系ロシア移民の子であり、そのことが作品を特徴づけている。冒頭で1914年生まれと書いたが、1920年代の末頃からナチスが台頭してきて、1939年に第二次世界大戦が始まった。多感な青春時代をユダヤ人として生きることは、想像以上に辛かったに違いない。

『ドイツ難民』という短編は、ナチスに追われてアメリカに亡命してきた50歳前後のユダヤ人ジャーナリストに、貧乏学生が英語を教えるという物語だ。アメリカで仕事を持って暮らしていくには何よりまず英語力が不可欠だが、思うように上達しない。悩み苦しんだ末にようやく一筋の光が差し込むのだが…。

という悲哀に満ちた設定だ。著者の短編はどれも魂が注入されていてゴツッと芯がある印象を受けるが、本作も例外ではない。(こうやって言葉にすると軽くなってしまうが)

『ドイツ難民』は『喋る馬』(柴田元幸翻訳叢書)に収録されているのだが、同短編集に収められた『夏の読書』がとにかく良い。このブログでも大絶賛したが、高校を中退した貧しい独りぼっちの男子の、ちょっとしたエピソードが美しく描かれている。今回、再読してみたがやはり素晴らしかった。

マラマッドさんよ、もっと『夏の読書』のような名作を読ませてくれヨォ

ってなノリで読んだせいもあるが、『ドイツ難民』は期待していたものとちょっと違うかなと感じた。いくつかの作品を読んでみたが、『夏の読書』だけ毛色が違うのかもしれない。

温度があって、深みがあって、マラマッドのファンが多いのはもちろん理解できる。でも、自分にとっては少しばかり大人過ぎる。人間味があり過ぎるのだ。例えがズレているかもしれないが、思いやりがあるけど暗い親戚の家の遊びに行った時の居心地の悪さ、を覚えた。関西弁で口が悪くてガチャついた親戚の家の方が居心地が良かったりする。(あくまで私の場合ね)

まあ、捉え方が間違っている可能性も大いにあるので、もう少し別の作品も読んでみようとは思う。

ふと思ったけど、柴田元幸さんが薦める小説と相性が悪いのかもしれない。柴田さん自身にはまったく悪いイメージは持っていないけれど、味覚がまったく違う人っているでしょ。それなのかもしれない。

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