「日はまた昇る」 アーネスト・ヘミングウェイ
- 2020.08.03
- アーネスト・ヘミングウェイ

「日はまた昇る」は、アーネスト・ヘミングウェイを語る上でもっとも重要な作品とよく言われる。ベストに挙げる声も少なくない。
今回、割と丁寧に再読したので率直な感想を書こうと思う。
まず、とても読みやすい。スーっと頭の中に文章が入ってきて、登場人物たちの顔や風景が映像として立体的に鮮やかに立ち上がる。もちろん、ヘミングウェイのシンプルな文体の魅力によるのだが、「日はまた昇る」を手に取る前にフィリップ・ロスを読んでいたことも少しばかり影響している。ロスの小説は具がぎゅうぎゅうに詰まっている上に癖が強く、とにかく精力的。それに読み疲れていたところでのヘミングウェイだったので、その淡白な文体が清涼剤のように効いたというのもある。
「日はまた昇る」はどのような話かと言うと…
ワインを呑み、旅をし、ワインを呑み、釣りへ行き、ワインを呑み、眠り、ワインを呑み、祭りへ行き、ワインを呑み、喧嘩をし、ワインを呑む、といった話だ。ワインワインと連発したが、時々アブサン(リキュールの一種)やビールも呑む。
アルコールを節制したり、仕事に精を出したりすることはない。登場人物は、ほぼ全員が酔っ払いである。
ストーリーらしいストーリーもない。女1人、男4人が闘牛を観るためにスペインのパンプローナを旅するだけの話だ。
「日はまた昇る」(原題:The Sun Also Rises)というタイトルだけ見ると、「復活への熱き思い」などと勘違いしそうになるが、むしろその逆でエンドレスな虚しさのニュアンスが漂う。
再読のせいかもしれないが、読後に感動の余韻のようなものは今回はそれほど残らなかった。登場人物たちの奢りが鼻についたというのもある。闘牛への傾倒ぶりにも同化できなかった。ヘミングウェイは闘牛のプロでも何でもなく、一ファンに過ぎないのに、上から目線で語ってくることにやや違和感を覚えてしまった。
それでも、全体としては長編デビュー作と思えないほどスタイリッシュである。影響を受けた当時の若者たちがファッションや行動を真似し、パンプローナを聖地化した気持ちはよくわかる。
ロストジェネレーション(失われた世代)の実態を描き出した、とかそういった理屈は正直どうでもいいかな。突き放すような書き方と思われるかもしれないが、この小説の真髄はそこじゃないという気がしている。確か著者本人も本作をそんな風に語っていた記憶がある。
とにかく自然の描写、祭りの描写がリアルで瑞々しい。一つ一つの描き方に濁りや嘘がなく、心理描写に寄ることもなく、終始一定のペースで淡々と描いている。(おそらくは推敲を繰り返した結果なのだろう) 最初から最後まで、思考を軽視したフィジカルさで貫かれている。
よく知られたことだが、「日はまた昇る」は実在の人物が登場するモデル小説である。名前こそ変えてあるものの、誰をモデルにしたかは明らかで、実際にパンプローナで過ごした数日間が物語のベースになっている。どうしたって、読んだ人はすべてが実話と受け取るだろう。でも、話の中身は創作部分が多い。虚実まぜこぜで、起きてないことや事実と反することもかなり書かれている。
モデルにされた連中にとってはたまったものじゃない。特に、バカにされまくるストーカー男として描かれたハロルド・ローブは、怒り狂ってヘミングウェイを○○そうとしていたという話まである。
ひんしゅくを買うことを予想できたはずなのに書かずにいられない。ヘミングウェイは、こうした虚実混在型モデル小説(そんなジャンルはないけど)の常習犯なので、人間関係を壊してしまったことも一度や二度ではないだろう。
この小説の元になったパンプローナ旅行で、実際にはヘミングウェイは妻のハドリーを同伴している。そこで、小説のヒロインとして描かれている女友達に惹かれ夢中になってしまったという。(なんという自制心の無さ) しかもそれを小説化し、ハドリーと離婚した際に印税を慰謝料として渡している。(どういう気持ちで?) 小説は素晴らしいが、どうしようもないエゴイスト。こう非難されても仕方ないだろう。
まあ、いろいろ書いたが、「蝶々と戦車」などの名作短編と比べるとやや抑制に欠けるが、若き透明な感受性の魅力があってやはり特別な作品だとは思う。私もヘミングウェイに多少の思い入れのある人間だが、どこか一つゆかりの地に行けるとしたなら、オークパークでもキー・ウェストでもキューバでもなく、パンプローナを選ぶと思う。いつか、パリ経由で行ってみたい。
とにかく、未読の人に一度は味わってほしい名作だ。読み終えたばかりだが、もう再読したいと思っている。次は原書にチャレンジするつもりだ。
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