「海流の中の島々」は1970年にヘミングウェイの遺作として刊行された長編で、著者の死後に4人目の妻であったメアリが発見し、誤字脱字など若干の手直しをした上で発表された。執筆時期は1950~51年頃と紹介されることが多いが、それより何年も前から構想し、執筆に着手していたとも言われる。
よく知られた話ではあるが、「老人と海」は「海流の中の島々」 の一部であった。その章の出来が良かったためか、あるいは「海流の中の島々」 の完成をあきらめたためか、理由は定かではないが切り取るような形で出版され、ご存知の通りノーベル文学賞を受賞している。さて残った原稿はどうしたものでしょうねぇ?ってな感じで、結局のところ著者が生きているうちは日の目を見ることはなかった。
構想が壮大過ぎてまとめきれなかったのだろうか。それともクオリティに納得が行かなかったのだろうか。未発表の理由は著者のみぞ知るだが、ひとつだけ確かなことは、「海流の中の島々」 の出版をヘミングウェイ自身が望まなかったということだ。
ここからは個人的な見解になるが、「海流の中の島々」は評論家やファンから特別扱いされている気がする。生前未発表であるにもかかわらず、なにやら妙に評価が高い。著者のベストに挙げる人も少なくない。「自らの心情をさらけ出した重い主題、最良の自然描写、衝撃的な展開、壮絶な闘いの描写、これぞヘミングウェイを語る上で欠くことのできない最重要作品だ!」ってなノリで熱く語られることが多い。
そうした世の声に流されるのは嫌なので、このブログでは正直な感想を書こうと思う。
率直に言わせてもらうなら、それほど面白くない。★★★★★を満点とするなら★★くらいかな。
章ごとにまったく舞台が違うという組み立てには惹かれるが、重い主題も衝撃的な展開も壮絶な闘いも、どれ一つとして響いてはこない。
不朽の名作を悪く言うな!と叱られそうだが、嘘で褒めても仕方がない。愛読されている方には申し訳ないが、こういう意見もあるということで寛容に見てほしい。
私の中では、低評価というより好きになれないと言った方が正確かもしれない。
この物語はフィクションなのだが、どう考えても自伝的な小説である。原稿の発見者であるメアリもその点について認めている。幾度もの離婚を経験したセレブなハドソンという主人公の中年男性は、ヘミングウェイその人だ。飼っている猫の名前までそのままらしい。主人公なのだから当たり前なのだが、物語はこのハドソンを中心に描かれている。まわりの人間たちは、誰もがハドソンに関心を抱き、魅力を感じ、リスペクトしている。彼の一つ一つの言動には価値があるという前提ですべてが描かれている。驕りが強いというか、謙虚さに欠けるというか、著者の自己愛が滲み出た自伝的小説を何百ページも読まされることに拒絶反応が出てしまった。
こういうことを書くと、この小説の主題を理解していないと思われるかもしれないが、著者の上から目線がどうしても気になってしまった。私小説と捉えればそういうものなのかもしれないが、私は優しくないし、聡明でもないので著者の慢心に付き合うのが正直辛かった。
私の感想は偏っているかもしれないので、いろいろ他の方の声もチェックしてみた。「感動した!」というレビューが多いことに驚かされた。批判的なレビューはほとんどない。単に私のリテラシーが低く、本質をつかめていないだけなのだろうか。。。
繰り返しになるが、「海流の中の島々」はヘミングウェイの生前には発表されていない。前述した「老人と海」の件などさまざまな事情が憶測で語られているが、私は「小説としての不出来」が最大の理由だと思っている。(思いたい) 「何を見ても何かを思い出す」というヘミングウェイの著作の中で最悪と言える短編があるが、これも生前未発表である。おそらくは著者本人の中に、「これは世に出せない」という常識的な判断があったのだろう。未発表には未発表の理由があるものだ。
ヘミングウェイは生前、「いくらか手を加えることでこの長編は輝き出すかもしれない」とどこかで思っていたのかもしれない。だから、破棄せずに仕舞っておいた。でも、最後までそうはならなかった。「老人を海」刊行後、残りの原稿を燃やすべきだったのかもしれない。生前未発表の作品群は、ヘミングウェイの残念な面を強調しているだけに思えてならない。
まったく的外れなことばかり書いているのかもしれないが、これが正直な感想だ。他の方の意見を否定するつもりはない。むしろ、想像力を働かせて、少しでも理解したいと思っている。
今回はちょっとばかり疲れました…。