「分水嶺の下で」 アーネスト・ヘミングウェイ

原題は、Under the Ridge。Ridgeが分水嶺と訳されているが、分水嶺って言われてピンと来る人はどのくらいいるだろう。辞典を調べると「雨水が異なる水系に分かれる場所」と説明されている。つまり、分水界になっている山稜のことらしい。(えっ、返ってわかりにくい?)
まあ、普通に「尾根」と訳しても問題なさそうだが、川についての描写も出てくるし、ブンスイレイの方が響きも文学的。まあ、どっちでも良いのかもしれないが。。。

あらすじをここでは紹介しないが、舞台はスペイン内戦のある戦場。主人公(ヘミングウェイ)がコミットしているのは共和国側であるが、けっして一枚岩ではなく、その内側は筋の通らぬ蛮行に溢れていた。本来なら反ファシズムという正義を共有する仲間同士であるのに、まっとうな理由もなく身内に殺されてしまう不条理。この短編では、理念とまるで矛盾した現実、それがまかり通る醜い権勢を、恣意的ではなく客観的に描き出している。

この作品に限ったことではなく、ヘミングウェイが描く主人公の多くは観察者であり、ほとんど自己主張をしない。好戦的でもなく、強引さもない。それは「殺し屋」や「ファイター」といったハードボイルドな短編にも言える。

「分水嶺の下で」 には、著者らしい客観的で冷徹な魅力がある。明確な結論やメッセージを小説に求める人には物足りないかもしれないが、ファンは「そこがいいのさ!」と感じているはずだ。

ヘミングウェイのそうした奥ゆかしさは次の言葉によく顕われている。

The writer’s job is not to judge, but to seek to understand.
(作家の仕事とは判断を下すことでなく、理解しようとすること。)

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