今回は最後まで読んでほしい。
取り上げるのは、『ビギナーズ』に収録された『足もとに流れる深い川』(原題:So Much Water So Close To Home)のロング・ヴァージョン。ロング・ヴァージョンというかカーヴァー・ヴァージョンと呼ぶ方が正確かもしれない。以前このブログで扱ったのは、リッシュの意向が色濃く反映されたショート・ヴァージョン。リッシュとは、敏腕編集者のゴードン・リッシュのことで、彼はカーヴァーの魂が籠った短編を容赦なく切り刻み、極限まで文章を削ぎ落とし、内面描写を徹底的に排除することで、ミニマリズムのスター作家を作り上げた。編集者が校正して修正させるのって別に珍しいことじゃないでしょ?と思うかもしれないが、リッシュは「暴力的な省略」で知られる剛腕の人。カーヴァーの出世作である短編集『愛について語るときに我々の語ること』に収録されたすべての短編について「サイコパスなの?」ってレベルで手を加えている。タイトルやエンディングの変更にも躊躇がない。作家への忖度などまるでない。『足もとに流れる深い川』に関しては、驚くことに本文の70%をカットしている。無名の作家であったカーヴァーは、飛ぶ鳥落とすスター編集者に逆らうことなどできなかったのだろう。
で、切り刻まれる前のオリジナル版『足もとに流れる深い川』はどうなのか。ロング版とショート版の読後の印象はかなり違う。テイストがまるで異なる。
ロング・ヴァージョンでは、一つ一つ省かずに説明しているので、話の流れや登場人物たちの心情がわかりやすい。全体的に展開が緩やかで、読者に優しい。それに対してショート・ヴァージョンは緊迫感や疎外感が際立っており、冷徹な印象を残す。都会的でスタイリッシュとも言える。同じストーリーであるのに、ここまでトンマナが違うことに驚かされた。
文学界に与えたインパクト、その後の影響力という点では、比較するまでもなくリッシュ版が勝っている。深い叙情性という点ではカーヴァー版が上だろう。
個人的には、説明しないことで想像力を掻き立てるリッシュ版が好みかな。内面描写や形容詞がほぼ無いため、「張り詰めた独特の緊張感がたまらねぇぜ」と嬉しくなる。時短が求められる今の時代には、こうしたタイトな表現の方がフィットしているという気もする。誤解を恐れずに言えば、カーヴァー版は「普通の短編」に思えてしまう。あくまでリッシュ版との比較においてという意味で、実際にはこれだけ質の高い短編が「普通」であるわけはない。
極限まで削ぎ落とされたミニマリズム文学に読者が熱狂するほど、カーヴァーは複雑な思いを抱えていたことだろう。「自分の作品に新たな魅力が与えられ、人気作家になれた喜び」と「作品を原型がないくらいにズタズタにされたショック」という相反する感情に悶えていたはずだ。実際にカーヴァーはリッシュに「このまま出版されたら、僕は二度と書けなくなるかも。元に戻してほしい」と哀願する手紙を宛てているが、リッシュは完全にスルーしてそのまま出版。リッシュの狙いは見事に当たり、世の中からは大絶賛された。生真面目なカーヴァーは、葛藤に耐えきれずリッシュと決別する道を選ぶこととなる。皮肉なことに、カーヴァーは文学史に名前を刻み、今も崇拝の対象となっている。リッシュはそれを面白く思わなかった。「ミニマリズムの巨匠を作ったのは俺だ」という気持ちを抑えることはできなかったのだろう。
リッシュには卓越した編集センスがあったとは思うが、やはり他人の作品を切り刻んじゃダメだと思う。カーヴァーを説得して書き直させるならいいけど、好き勝手にズタズタにするのは人の道に反している。金と権力で黙らせていたとするなら、それはタチの悪いパワハラでしかない。二人の関係性や時代の空気もあるので、一概にリッシュの人間性を責めることはできないとは思うが。

リッシュ版が好みと書いたが、私が人間的にもう少し成長したら、都会的でスタイリッシュなミニマリズムより、誠実で深みのあるカーヴァー版に惹かれるようになるかもしれない。改まって言うのも恥ずかしいけれど、優しさや温もりはセンスやお洒落さよりずっと大事だ。浅はかな今の自分をちょっとだけ嘆きつつ、『ビギナーズ』の他の短編もゆっくり読んでいこうと思う。自分の中の価値観が変化していくことを期待しながら。