『ハツカネズミと人間』 ジョン・スタインベック

今回取り上げるのは、ジョン・スタインベックの『ハツカネズミと人間』(原題:Of Mice and Men)。

「せつなくて愛おしい名作!」ということで、期待値MAXでの読書となった。

ここではあらすじは書かないが、ざっくり言うなら、小柄で頭のよく回るジョージと頭の回らない大男レニー、ふたりの出稼ぎ労働者のもの悲しい物語だ。

率直な感想としては、うーん、どっちだろう?悪くはないけれど、少しばかりヒューマニズムに胃もたれしてしまった感がある。比較的短い話なのでサクッと読み終えたが、なんというか妙に膨満感があり、読後に炭酸水のようなヘミングウェイの短編を飲みたく、いや読みたくなった。高評価か低評価かはっきりしなくて申し訳ないが、もう少し薄味にしてくれていたら絶賛していたかもしれない。

『ハツカネズミと人間』に特別な思いを抱く人がいるのは理解できる。スタインベックらしく、不条理な社会を生きる弱者が温かな眼差しで描かれている。私も、「人生を変えてくれる重要な作品に出会えたかも」という高揚感を抱きつつ途中まで読み進めていた。濃い登場人物たち、そして感傷的な会話。読み進める中で、作家の意図が透けて見えた気がして、ある種のあざとさを感じてしまった。でも、それはおそらく勘違いで、私はこの小説の本質を単に見誤っているのだ。『ハツカネズミと人間』は単純な友情物語ではなく、シンプルな表現の奥に人間の愚かさが深く刻み込まれている。

グダグダしてきたが、こうしてブログに書くことで(言語化することで)、もやもやした思考を整理しているのでご了承いただきたい。

同世代の多くの文豪たちは、スタインベックにはかなり批判的だった。フォークナーやオコナーは、スタインベックを見下していた。人間の醜い業を直視し、絶望をグロテスクに提示する知的な作家たちは、大衆向けに単純明快な感動を届けるスタインベックを認めることなどできなかった。

カポーティは、スタインベックがノーベル文学賞を受賞したとき、「選考基準どうなってるのよ!」と声高に疑問を呈した。「あの人は才能が無いわ」とか「哲学も三流ね」とか、とにかく辛辣に攻撃しまくった。カポーティだけでなく、文学界全体がスタインベックの受賞には反対していたそうだ。ちょっと気の毒に思えてきたが、「正直、私はノーベル文学賞にふさわしくないね」って本人も認めていたという。ヘミングウェイも「あいつの小説は説教くさい」と嫌っていたらしい。

エリート意識やプライドの高い同業者たちからの容赦ない罵声に何も反論せず、スタインベックは直球を投げつづけた。人前に出るのが苦手な性格で、ガレージでの日曜大工が趣味だったという。そして犬が何より大好きだった。プードル犬をお供にキャンピングカーで全米を旅するルポまで執筆している。スタインベックの顔写真を見ると強面に見えるが、とてもシャイで優しい人柄だったようで、写真が苦手で強張っていただけらしい。若い頃は農場や工場で労働者として働いた。『怒りの葡萄』を書く際には出稼ぎ労働者たちのキャンプで生活を共にした。文体も粗野で無骨で男臭い。労働者階級の剥き出しの俗っぽさ、それも魅力だ。

現在、スタインベックはどう評価されているのか?

80年代以降に再評価の波が来て、アメリカ文学の巨人としての地位を不動のものにしている。頭でっかちでなく、気取り屋でなく、エゴイストでもない。現代社会において「生きる力」くれる作家としてその存在感を高めている。水晶の文体と呼ばれたカポーティのスタイリッシュさより、「男らしい俺」を世界に誇示しつづけたヘミングウェイのマッチョイズムより、「どうにか生き抜こうとする名もなき人々」に光を当てつづけたスタインベックのヒューマニズムが、今の時代には重要な意味を持つ。斜に構えて、「ヒューマニズム=偽善」と切り捨てるのは簡単なことだ。この記事の冒頭で私は「ヒューマニズムに胃もたれした」と書いたが、胃が弱いだけの都会人そのものではないか。情けねぇ。

久しぶりに記事を書いたので、脳がクタクタだ。脳は使わないとすぐ錆びるのね。

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