「他人の身になってみること」(原題:Put Yourself in My Shoes)は1972年に発表され、レイモンド・カーヴァー初の短編集「頼むから静かにしてくれ」に収録された作品。カーヴァーは1938年の生まれなので、30代半ばに書かれたものだ。邦題は、翻訳者の村上春樹氏により「クリスマスの夜」から、原題に即した「他人の身になってみること」に変更された。一風変わったタイトルもカーヴァーらしさなので、「他人の」の方が確かにしっくりくる。
クリスマスの夜、ヴォイルズというバーで待ち合わせたマイヤーズ夫妻は、思いつきから以前に住まいを借りていたモーガン夫妻の家を予告なしに訪問することにした。はじめの歓待ムードが、会話を交わす中で少しづつ不協和音へと移り変わっていく。掻い摘めばそれだけの話で起承転結はない。カーヴァーの描く世界は、中産階級層のどこにでも見つかりそうな日常を切り取ったものがほとんどで、ドラマチックな出来事は特に起こらない。宗教や政治にも縁がない。ごく平均的なアメリカ人が生きる狭い個の世界の中で、ふと顔を覗かせる奇妙な違和感を浮き立たせる短編が多い。「他人の身になってみること」の流動的な展開もどこかアンバランスで、タイトルからイメージされるような教訓めいたメッセージはない。出だしから話はスムーズに流れ、成り行き任せにまた流れ、クライマックスなしに終わる。それでも、何より読んでいて面白い。説明するのは難しいが何だか面白い。読み手を選ぶかもしれないが、個人的にはとても魅力的な短編だ。
カーヴァーの作品には、彼が集団を嫌い、天邪鬼な性格であることが滲み出ているように思える。強面にポーズをとるポートレートが多いが、実際は周囲には優しい繊細な人だった気がする。同じような立ち位置で、似たような文体で、大して違いのない題材を扱う作家はアメリカにはいくらでもいるだろうが、カーヴァーが特別なのは、そうした内向性と繊細さによるところが大きい気がする。
それにしても、なぜこのタイトルにしたかは謎だ。第一、端正とは言い難い。自分が作者なら、付けるのに少し勇気が要る。作品の奇妙な雰囲気を暗示させているのか、それともただの思いつきなのか。自分の中には無い感性なので、正直ちょっと理解に苦しむ。「鴨」(原題:The Ducks)という短編があったが、その話の中で鴨はわずかしか登場しない。作品自体は名短編だと思うのだが、内容のシリアスさに対して、タイトルには奇妙な脱力感がある。まあ、そうした風変わりなタイトルも今になれば味と言えるのだが。
これまで、私はカーヴァーの作品があまり得意ではなかった。ダメ男のダメさ加減に腹が立ち、自業自得ぶりにウンザリし、ここ何年も手に取らずにいた。主人公たちの自堕落な暮らしは、気持ち一つで抜け出すことができるものだと。しかし最近になって再読し、そのダメ男たちの心情や疲れといったことの重みをリアルに感じ取れることができた。タイトル同様、第一印象はあまり冴えないが、そこは見た目に騙されてはいけない。描かれた世界を現実のものとして立体的にイメージできれば、中毒性を覚えるほどに読み漁りたくなる。簡素で硬質な作品が好みの自分にとって相性が良い作家とは言えないが、秋の夜長を迎えるに嬉しい再会となった。