「エズミに捧ぐ」 J.D.サリンジャー

相変わらず、子どもを描くのが巧い。エズミと弟がとてもチャーミングだ。

それと、予想通り難解だった。メタというのか入れ子というのかよくわからないが複雑な構成だし、時間軸も前後したりする。途中で一人称から三人称に変わったり、簡単には解けないパズルのように仕上げられている。

作品のクオリティ云々ではなく、基本的に謎解きがあまり好きでないので、読後にあれこれ推理する気持ちにはなれなかった。

ネット上にはいくつもの熱の入った推理が溢れていて、そういうのを見ていると気後れするばかりだ。「どうしてそこまで熱心になれるんだい?」と思いつつ、ボケーっと眺めるしかない。

これまでにサリンジャーの短編のいくつかをこのブログで取り上げたが、いつも同じ感想を書いている気がする。「巧いねぇ、でも謎解きは遠慮しとくわ」というややテンションの低い感想を。

サリンジャーファンの反感を覚悟して書くなら、どの作品もちょっと捏ね過ぎに思える。精巧だけど、線が細い。完成度が高いという言い方もできるだろうが、個人的にはもっと素材そのものの味が残っているシンプルな料理が好みだ。(うろ覚えだが、村上春樹氏も柴田元幸氏との対談でサリンジャーについて「凝りすぎだよね」と一言で片付けていた)

作品の感想は、特に浮かんでこない。3回4回と再読すると味が出てくるように思えるが、今の時点では特に面白いともつまらないとも思わなかった。

少し気になったのは、この短編の重要なキーワードであるSqualorが「汚辱」と訳されていることだ。「汚辱」には「名誉をけがされる」「辱めを受ける」といった受動的なニュアンスがあるように思う。Squalorを普通に訳すなら「浅ましさ」や「みすぼらしさ」といった、その人自身がもっている卑しさを表す言葉という気がする。「汚辱」という字面と響きにドキッとさせられたが、本気で読み解きたい人は、やはり原書を手に取るしかないと思う。

それとノルマンディー上陸作戦についても少し勉強しないといけないとも感じた。私はヘミングウェイを読む前に、スペイン内戦について調べたり、教育用の動画を何本か観たりする。ある程度の予備知識がないとその時代の空気を想像できないので。

ということで、ほとんど中身のない記事になってしまったが、サリンジャーという作家は正直なところ自分の好みに合わないのかもしれない。それとも、人が熱心に研究しているのを見ると、逆に醒めてしまうという天邪鬼な性格が出たのかな。

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