『私の父が死んだ三番めの原因』 レイモンド・カーヴァー

田中角栄は「初めに結論を言え」と言った。その言葉に従って結論から言うと、この短編が嫌いだ。読まなきゃ良かったとは思わないが、二度と読みたくない。世の中的には評価が高い作品かと思われるので、真反対の意見の人が多いだろうし、名作を露骨に否定されて不快に思う人もいるかと思う。

ここで皆さんに質問。

次のブロガーのどちらの記事を読みたいですか?

A:他人の意見に流されたり、忖度したり、Amazonで買わせるために嘘を平気で書いたり、記事のコピペにも抵抗がないサイコパスブロガー。

b:アフィリエイトとか気にせず、嫌われることや非難されることを恐れず、包み隠さず本音を書きちらかす不器用なお馬鹿ブロガー。

どっち? ねえ、どっち?

興奮してきたので一旦深呼吸。

心を落ち着けるために無印良品で買ったハーブティーを入れています。

528Hzのソルフォジオ周波数の音を聴いて、荒ぶる心を修復しています。

平静な心を取り戻したので再開。

『私の父が死んだ三番めの原因』という短編では、タイトルからもわかるように、息子目線で、父にまつわる悲劇の連鎖が語られている。

父親は、耳と口が不自由なダミーという製材所で働く男にバス(淡水魚)を買わせ、裏の人工池で養殖させる。しかし、洪水によって池のバスたちが川へと逃げ出してしまう。思い入れのあったバスを失ったダミーは、浮気癖のある妻を殺害し、自らも池に身を投げてしまう。死者は残った友人に悪運を残していった。それ以来、父親の人生はすっかりツキに見放され、生気を奪われて死んでしまう。

やっぱり暗いな。

この父親は支配的な物言いをする昔の人間(がっしりして角刈りのイメージ)で、ダミーに対しても「俺の言うことを聞いていれば間違いない」という高圧的な態度をとる。ダミーという名前は、模倣品のダミーの意味を込めた比喩なのかもしれない。(比喩とはちょっと違うかな)

息子から見た、前時代的な男らしさがもたらす悲劇的な結末。主題は悪くない気がするが、作品のムードがあまりに陰鬱で、明るい要素が皆無なため滅入ってしまう。他のカーヴァー作品にも暗いものはあるが(基本どれも暗い)、この短編はストーリーに読み手を魅了する何かが欠落しているように思える。名作と捉えている人も多いので、私にとってはということだが。

歯に衣着せぬ感想を書いたが、いろいろな意見がある方が面白いと思っていただければ嬉しい。

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