「ギャンブラーと尼僧とラジオ」 アーネスト・ヘミングウェイ

ヘミングウェイは何度も大怪我を経験している。行動派の作家に怪我つきもの、といった武勇伝として捉えられているかもしれないが、実際はどうだったのだろう。根拠はないが、ちょっと鈍臭かった気がしなくもない。確か、訳者の高見浩さんもヘミングウェイ運動音痴説を唱えていたような記憶がある。

この写真を載せるのは悪意があると言われそうだが、お世辞にもスポーツ万能には見えない。

まあ、その真偽は置いておいて、「ギャンブラーと尼僧とラジオ」はヘミングウェイが自動車事故(1930年)で右腕を骨折し、入院していた時の経験を元にして書かれた。著者は1899年生まれなので、アラサーの頃の話ということになる。

「勝者に報酬はない」というスタイリッシュなタイトルの短編集に収められたキー・ウェスト時代の作品だ。

ちなみにキー・ウェストというのはアメリカのフロリダ半島から伸びるフロリダ・キーズ諸島の西の端。こういう開放的なところ↓

原題はThe Gambler, the Nun, and the Radio。

Nunは修道女のことで、日本ではSisterという呼び方に馴染みがあるが、2つをどう使い分けるのかは私にはよくわからない。Nunは俗世から隔たった修道院内で生活していて、Sisterは外の世界との交流がある、という違いなのかな。。。(自信はないが)

「ギャンブラーと尼僧とラジオ」 の舞台は修道院が運営している病院であるため、尼僧が登場する。(「にょそう」とか「あまぞう」ではなく「にそう」と読むのでお間違えないように)

足を怪我して入院しているラジオ好きのフレイザーという男、銃で撃たれたメキシコ人のギャンブラー、チャーミングな尼僧らが主な登場人物。

どういう話かというと・・・

よくわからなかった。ちょっとばかり疲れているせいもあり、正直よく理解できなかった。(疲れのせいにしてはいけない、私が無知で馬鹿であることを認めなければ!)

ていうかこの話、時代背景などの知識なしで感覚的に捉えるのは難しい。少なくとも私にとっては難易度が高かった。

この短編が書かれた当時は、世界恐慌の真っ只中で、左翼勢力が台頭していた。それに対して、どうやらヘミングウェイは不満を抱いていた(のかな?)。 1910年から17年に民主主義的なメキシコ革命が起きているが、何かしら影響しているのだろうか?うーん、さっぱりわからない。本文中に「民衆の阿片」の話がちょいちょい出てくるが、「宗教は民衆の阿片」と言ったマルクスについての予備知識も必要なのかな。。。

なんだか、頭が痛くなってきた。

ということで今回は解題も感想もムリ。再読したり、いろいろ海外サイトを調べたり、そういう気力が今は湧いてこないので少し時間を置いて再挑戦しようと思う。

でも、他の人のレビューをいくつか読んでみたが、よく自信持って書けるなーと感心するばかりだ。(皮肉ではなく)

愚痴っぽくなってきたので、今回はここまで。いつかリベンジします。

TOP