「鴨」 レイモンド・カーヴァー

「鴨」(原題:The Ducks)は、1976年に世に出たカーヴァーの初短編集「頼むから静かにしてくれ」に収められた一篇。当時、カーヴァーは38歳になっていたが、まったく無名の作家。最初の妻であるメアリアン・バークとの間に二人の子どもを抱え、生活はかなり苦しかったようだ。滑り落ちるようにアルコールに依存し、夫婦生活も破綻していった。初の短編集を出せたというのに、私生活は散々な感じだ。

暗い話から入ってしまったが、「鴨」は初短編集が発行される十数年前、カーヴァーが20代半ばの頃の作品だ。まだアルコールに溺れる前で、まだ結婚生活も壊れていない。でも、やはり暗い。若々しさはまるでなく、不吉な未来への暗示に満ちている。

主人公は製材所に勤める男とその妻。(カーヴァー自身も彼の父親も、実際に製材所に勤めた経験がある)  午後になり、風雨が強まる。夫は急いで薪割りをすませ、妻と夕食をとる。外出がちな夫への不満を漏らす妻。夫は週末のリノへの旅行を存分に楽しもうと言ってなだめる。夫は夕方に仕事に出かけ、朝に戻る。その日も、激しく雨が降る中をピックアップトラックに乗り込み、製材所へ出掛けた。しかし、すぐに夫は帰ってきた。ボスが心臓発作で急死したため、仕事ができる気分でなく、引き上げてきたと妻に告げる。ビールを飲み、テレビを観る。二人でゆっくり過ごせる平日の夜は珍しかった。夫は、そろそろここを離れて生まれた土地に戻りたいと言う。そうしたいのならそうすればよい、と妻は答える。先に妻が寝入ると、眠れぬ夫は週末に行くカジノのことを想像する。屋根から雨が滝のように落ちる音が、家中から聞こえてくる。

漠とした不安に包まれた、とても暗い話だ。割れて飛び散る腐った薪、強風にバタバタと煽られる洗濯物、飛び去っていく鴨の群れ、こうした描写が途中に挟まれ、心の不安定さを煽る。週末に行く予定のリノとは、ネバダ州にあるカジノの町のことだ。ラスベガスと並ぶほど有名で、The Biggest Little City In The World(世界一大きな小都市)と呼ばれている。閉塞感のある日々の暮らしとカジノという虚飾の世界。明暗のコントラストの中で虚無感が際立つ。

まだ20代だった著者が、なぜここまで希望のない話を書いたのか。人生に絶望するには早すぎる年齢だ。カーヴァーは16歳の女子と結婚し、早くに子どもができ、経済的な苦労を抱えていた。作家として生きるなど夢のまた夢。製材所で自分が望まない仕事に就いていた時期の、どうにも滅入るような気持ちが作品に表れているのかもしれない。

この短編の中で心臓発作で急死した製材所のボスだが、年齢は50歳くらいで大きな子どもが二人いるジャック・グレンジャーと書かれている。50歳で他界したカーヴァーと重なり、なにかしら予言めいたもの感じずにはいられない。

頼むから静かにしてくれ〈2〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

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