「ぼくにだって言いぶんがある」というチャーミングな邦題の付いた、天才カポーティによる喜劇だ。
「夜の樹」や「ミリアム」や「無頭の鷹」とはまるでムードが異なる。「奥様は魔女」のように観客の笑い声が聞こえてきそうなドタバタコメディに仕上がっている。
感受性豊かで都会的なイメージの強いカポーティだが、この短編はかなり面白い。16歳で結婚した「ぼく」が、悪意に満ち満ちた妻の叔母ふたりに陰湿なイジメを受けるという話で、叔母軍団がとにかく憎たらしい。下品であさましく、醜い化け物として描かれている。容赦のない意地悪を繰り返し、終いには剣や肉切り包丁で「ぼく」を殺そうと追いかけ回すという暴れっぷりで圧倒してくる。
カポーティは、なぜこのようなコメディを書いたのか。私が思うには、おそらく卑しい人間たちへの憎悪がベースにあったと思われる。子どもの頃に受けた仕打ちへの、文学による復讐ではないだろうか。暴力的衝動をそのまま小説化すれば、社会に受け入れてもらえない。美意識からも粗暴な作品は書きたくない。そうした思いから、憎しみを笑いに昇華して表現した気がする。
なぜ、そう思うのかって?私の中にも似た思いがあるから、なんとなくわかるのだ。大人の融通の利かなさや狡さ、図々しさが嫌で嫌で仕方ななかった。でも、非力な子どもは我慢するしかない。憎悪はくすぶりつづけ、大人になっても心に残っている。
なんだか哀しくなってきたが、ますますカポーティのことが好きになった。読書中に読める幸せを感じさせてくれる作家などそういるものではない。カポーティに感謝したい。