読後すぐに、この短編を繰り返し何度も読もうと思った。読解できず疑問が残ったからではなく、単行本で僅か7ページ程度の掌編ではあるものの、そこに自分にとって必要な刺激が詰まっていると感じたためだ。
映画界でも脚光を浴びるミランダ・ジュライは、一時期大いに話題になり熱烈な信奉者を生み出したカリフォルニア育ちの女流作家。「階段の男」(原題:The Man on the Stairs)は、2007年刊行の「いちばんここに似合う人」に収められた短編だ。
あらすじは・・・
物音がして目覚めると、誰かが階段を上がってくる気配がする。何者かはわからないが、とてもゆっくりと上ってくる。止まって、長いことじっとしていたりもする。その間に、いろいろな思いが頭の中を巡る。
といった話だが、サスペンスやホラーの類ではまったくない。階段の男を口実に、自分自身の性格的な欠点やら隣に寝ているケヴィンとの虚しい関係やらがポロポロと語られる。あらすじを短くまとめ過ぎと思われるだろうが、とにかく奔放に話題がジャンプしていくので、ストーリーを説明してもあまり意味がない。(書いていて虚しくなった) 実際に読まなければ、1%も伝わらないタイプの作家なのだと思う。現実とうまく折り合いをつけられない不器用な女性のもがきがほとばしっているような文体、それが最大の個性だ。
ミランダ・ジュライは、日常に満ち溢れた嘘を看過しない。作家自身とイメージの重なる主人公が自虐まじりで赤裸々に思いを語り、嘘の皮をはいでゆく。躊躇はない。冒頭に書いた「必要な刺激が詰まっている」というのはそういうことで、すっかり自分の一部になってしまったような嘘も見逃さず突いてくる。常識人の顔、浅はかな理性、権威への服従、虚栄心からくる気取りなどのあらゆるインチキに対し、この作家はパンクな態度を取り続ける。図々しい中高年の対極にいるような人だと思う。ミランダ・ジュライを読んで何も感じない大人になってしまうことは、とても危険で恐ろしいことではないだろうか。だから、時々読み返そうと思うのだ。
同氏の作品はどれも毒素を含むが、好戦的な印象や野蛮さはない。普通は口に出せないような真実を書くが、個人をウェットに攻撃する悪口とはちょっと違う。誰かを蔑んだり恨むというより、自虐的で痛々しい感じだ。男女にありがちの俗っぽい陰湿な口論シーンなどもないため、へんてこりん(いい意味で)だがドライな読後感を残す。
疎外感や潔さ、毒が強いのに読後感はすっきりしているところなど、作風は異なるがフラナリー・オコナーとの共通点を感じた。