「わたしはドアにキスをする」 ミランダ・ジュライ

余計な前置きやダラダラした描写がなく、実に小気味好い。そして、何より面白い。

「わたしはドアにキスをする」(I kiss a door)を乱暴に要約すると、バンドの女性ボーカルであるエレノアの恋人は彼女の実父だった、というちょっと危ない話だ。

作中で、エレノアが歌う曲の歌詞がこれ。

あの人は まるでドアみたい

あの人の肌は まるでドアの味

あの人に キスをするとき

わたしはドアに キスするの

もちろん、ドアはメタファーである。確証はないが、おそらく「恋人」の比喩ではないかと思う。

普通、女性は恋人ができると、それまでとは異なる新しい毎日を生きることになる。そういう意味で、「恋人」を別世界への「ドア」と見ることができる。

エレノアの恋人は実の父親。もちろん、誰にも言えない秘密の関係だ。この場合の「恋人」は、新しい世界への「開かれたドア」ではなく、外界との接触を拒む「閉ざされたドア」である。

この小説の語り手はエレノアについてこう思っている。父親の前では輝きを失う女の子。そして、2年間のバンド活動期間だけ、彼女はドアから外の世界(実父と離れた場所)に出てきて、自分自身の魂を雷鳴のように轟かせたと。

結局、エレノアは音楽活動をやめ、再びドアの内側(実父のもと)へと戻っていってしまった。それが幸せなことかどうかは、ここでは結論づけていない。

ミランダ・ジュライの作品には、エキセントリックな現実をそのまま受け入れる潔さがあり、読後感はさっぱりしている。繊細なのにあけすけで、ちょっと他では味わえない独特の作風だ。

奇をてらった風変わりな流行作家、と敬遠する人もいるかもしれないが、私には「変わった小説」というより「進化した小説」に思えてならない。ミランダ・ジュライを読んだ後、他の作家の作品があまりにオーソドックスで退屈なものに思えて困ることがある。今も、それを感じている。

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