『注意深く』 レイモンド・カーヴァー

さんざん話し合った上で妻と別居することになった中年男の話だ。

この夫は朝起きてすぐ酒を飲む。そして、何もせずにただダラダラと息が詰まるような狭い屋根裏部屋で過ごす。突然そこに妻が訪ねてくるが、耳垢が詰まって周囲の音がよく聞こえない。妻の声もはっきり聞き取れない。妻は大事な話(離婚話?)をするために来たのだが、結局は耳掃除をしただけで帰っていく。そしてまた、夫はひとりシャンパンを飲みだす。

といったカーヴァー濃度の高い短編だ。耳垢のエピソードだけで一つの短編にしてしまうあたり、逆に骨太に感じる。何が逆なのかよくわからないが。。。

おそらく、この夫婦はアルコール依存から抜け出すために別居という選択をした。だが、夫の意志はてんで弱く、状況が改善しているようにはとても思えない。

読みながら「ダメな奴だな」と一刀両断にしたくなったが、そう簡単な話ではなさそうだ。この夫はアメリカの格差社会の犠牲者であり、世の中に絶望している。何をどうしたらよいのかわからず、出口がまったく見えない。すでに諦めてしまっていて、もがく気すら起きない。そうした精神状態では、断酒へのガッツなど湧いてこないだろう。

この夫と同じように社会から転げ落ち、途方に暮れ、心が荒んでしまった人たちがカーヴァー作品を読むとき、そこにある種の救いを見出すのかもしれない。「アメリカは詰んでる」という幻滅と行き詰まり感の共有によって少しだけ気が楽になるといった類の救いを。そういう意味では、夢とか希望とかヒューマニズムとか、そういう嘘くささはカーヴァー作品には不要とも言える。

カーヴァーには、『大聖堂』のように光を感じる短編もあるが、どこか少し無理をして書いているような印象を受けなくもない。アメリカンドリームなどはなく、ドラマチックでもなく、ハートウォーミングでもない。そんな閉じ込められた息苦しい小説だからこそ癒される。的外れかもしれないが、ふとそんなことを思ったりした。

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