「ミリアム」 トルーマン・カポーティ

原題はMiriam。

冬のニューヨーク、マンションに住む61歳のミセス・ミラーの身に起きる不可解な出来事を描いた短編だ。はじめの1ページを読むだけで、静まり返ったような孤独な暮らしが、リアルに映像として頭に浮かぶ。この暗鬱さが無性に好きな人もいるだろうが、怖がりな私は読み始めてすぐ体に悪寒が走った。

というわけで、1ページで断念。今日の記事はここまで!

と言いたいところだが、恐る恐る先へ。(再読なのに、ストーリーをほとんど忘れているせいで普通に怖い)

ミセス・ミラーは夫と死別し、保険金でつましい暮らしをしている。ある夜、彼女は近くの映画館へ一人で出かけた。そこで、10歳くらいのミリアムと名乗る風変わりな少女に出会う。子供らしさがまるでなく、顔じゅう目のような少女だ。

それから何日か経った。雪で町が死んだように静かな夜、ミリアムが一人でマンションを訪ねてきた。ミセス・ミラーにとっては、少女とは言え、まったく歓迎できない不気味な客だ。お腹が空いたと言ってサンドイッチを作らせたり、声を聞きたいと寝ているカナリアを起こそうとしたり、勝手に寝室に入って宝石箱を開けたりと、奔放に振る舞うミリアム。帰るように促すと、機嫌を損ねたミリアムは花瓶を床に叩きつけ、こなごなに割ってしまう。花束を脚で踏みつけ、そして出て行った。

翌日、ミセス・ミラーはベッドの中で過ごしたが、次の日になると気分は良くなっていた。小切手を現金に換え、外で朝食をとり、ショッピングを楽しもうと街をぶらぶら歩いた。目が合ったショッピングバッグを腕いっぱいに抱えた老人が、なぜか後ろをつけてくる。彼女が花屋に入ると、老人は帽子をひょいと上げて挨拶し、歩調をゆるめずに店の前を通り過ぎて行った。彼女は新しい花瓶を買ってマンションへと戻った。

またもミリアムが訪ねてきた。美しいフランス人形を抱え、ボール箱の上に座っている。家に入れるつもりはなかったが、不思議なことに少女の言いなりになってしまう。ミセス・ミラーがボール箱を開けると、もうひとつの人形と服が入っていた。「ここに住むつもりで来たの」と少女は言う。ミセス・ミラーは泣きだした。長いあいだ泣いていなかったので、不自然な泣き方になった。彼女は部屋を飛び出し、下の階に暮らす若いカップルに助けを求めた。男の方がミセス・ミラーの部屋を調べに行ったが、少女はいない。大きなボール箱も人形もそこにはなかった。

ミセス・ミラーは部屋でひとり、神の啓示を待つかのように超自然なトランス状態に入る。自分を取り戻したことに満足して耳をすましていると・・・・

という話だ。素直に解釈すれば、孤独によって正気を失っていく女性を描いた短編となるだろう。カポーティらしい、自己の内側の閉ざされた闇ばかり見つめている人間の話である。ミリアムはミセス・ミラーが見ている幻影であり、闇へと誘う危険な存在だ。

私たちが普通に暮らしていてミリアム的な存在に出会うことはないが、絶望の真っ暗闇にいるときなど、とても近くまでやってくる気がする。「そんなのは見たことない」という人は、孤独や挫折のない幸せな人生を歩んでこられたのだろう。私ははっきり見たことや話したことはないが、気配は感じたことがある。(何を書いているのかよくわからなくなってきた)

それにしても驚くのは、カポーティが「ミリアム」を発表した年齢が19であることだ。11歳で短編を書いていたと言われるが、とにかく10代でこの完成度は凄いとしか言えない。天才と呼ばれたのも頷ける。カポーティは17歳で雑誌「ザ・ニューヨーカー」に勤め、コピーなどの雑用をしたが、詩人のロバート・フロストを怒らせてクビになったらしい。そのあと、この「ミリアム」を書いて、O・ヘンリ賞を受賞している。いつも横になって原稿を書いていたとか、異常なまでの迷信家であったとか、変人ぶりを伝えるエピソードは枚挙に遑がない。

カポーティ作品の多くは不気味だが、上品な艶っぽさがあり、ちょっした描写が美しい。例えば・・・

不安な気持ちは続いた。複雑な交響曲のなかの、とらえどころのない不思議な主題のように、ひとつの夢がほかの夢のあいだを糸で縫うようにあらわれる。

ベネチアン・ブラインドを通して斜めに差し込んでくる荒削りの板のような太陽の光が、彼女の不健全な空想を打ち砕いていくようだった。

旨いでしょ?雨の日などには、こういう読書も悪くないと思える。

夜の樹」もそうだが、流されるように闇の方へすっーと寄っていってしまう主人公に、心情的に同化するのはなかなか難しい。でも、文章はパーフェクト。この「ミリアム」も珠玉という形容がぴったりくる黒い宝石のような短編だ。

夜の樹 (新潮文庫)

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