『怒りの季節』 レイモンド・カーヴァー

この短編、とにかくわかりにくい。一読で理解できる人はいるのだろうか。読書中ずっとストレスを感じた。フラストレーションが溜まった。『怒りの季節』というより『怒りの読書』だった。(つまんねぇ)

どう難解なのか。

前提を説明しない上に時系列は前後しまくり、フラッシュバックも多い。何が現在のことで、何が過去のことなのか「?????」となる。しかも予兆やら暗喩やらが織り交ぜられ、肝心な部分は描かれていない。途中で本を放り投げてしまった。物に当たっちゃいけないねと反省しつつ、呼吸を整えて読み返し、何度もAIに質問し、どうにか理解できた(気がする)。不親切なパズルのような短編なのだ。

ミニマリストで知られるカーヴァーが、どうしてここまで複雑で変則的な物語を書いたのか?

その答えは明白で、執筆当時のカーヴァーがフォークナーに憧れていたためだ。『怒りの季節』 は習作と呼べる初期の短編であり、まだカーヴァーの引き算スタイルはできていなかった。「俺もあんな風に濃い小説を書くぞ!」と背伸びし、いかにもフォークナー的な「近親相姦」や「殺人」といった狂気を詰め込み、じっとりねっとり陰鬱なトーンで書いている。結果として、「若書きの失敗作」となった。これに懲りたのか、目が覚めたのか、カーヴァーはジョン・ガードナーに弟子入りし、フォークナーの天敵ヘミングウェイに心酔し、切り刻み系敏腕編集者ゴードン・リッシュと出会い、ミニマリズムへと邁進する。その後の成功を見れば、この方向転換は大正解だったと言える。

『怒りの季節』が収録された『英雄を謳うまい』の後書きで、訳者の村上春樹氏は「全体を貫く暗い予感的なトーンは、明らかにカーヴァー独自のもの。来るべきカーヴァー世界を暗示する要素がここは勢揃いしている」と分析している。確かにそういう面はあるかもしれないが、そうしたムードも含めて私にはフォークナーのパクリに思えた。

ちなみに、ヘミングウェイはフォークナーをこう批判している。

「哀れなフォークナー。大仰な言葉を使えば、大きな感動が生まれると本気で思っているのか? 彼が言う「10ドルもする高価な単語」は私だって知っている。だが、世の中には古くで簡素で優れた言葉がある。私が使うのは、そういった言葉だ 」

フォークナーの熱心な読者に反感を買いそうだが、この点に関してはヘミングウェイに賛同できる。Less is more.を私は信じているし、「簡潔で無駄を削ぎ落とした文体」の方が大切なことが読み手にダイレクトに伝わる。私の中にもフォークナーへの敬意はある。濃密で多層的な文体は、複雑な現実を表現するのに適していると感じるし、文学の最高レベルのテクニックを持った作家だと思う。でもね、どうしてもあの重苦しさが苦手で…。まあ、私の読書脳が非力と言われればそれまでだが、小説は無理して読むものでもないので。。。

グダグダしてきたので、今回はここらで締めようと思う。ハードロックでも聴きながら、ちょっと走りに行ってきます。

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