『ヘミングウェイで学ぶ英文法2/清潔な明るい場所』

ヘミングウェイの短編を教材に英文法を勉強するという、原書で読みたい願望の強い私のための本。それが『ヘミングウェイで学ぶ英文法』だ。(私のためにありがとう!)

今回の記事で取り上げるのは第2弾のChapter4『清潔な明るい場所』(高見浩訳は『清潔で、とても明るいところ)。

まず、章の扉に作品の概要が記載されている。

深夜のカフェで、唯一の客となった老人がブランデーを飲みながら、いつまでも帰ろうとしません。若いウェイターが早く帰りたいと願っているのに対し、歳上のウェイターはむしろ客がいつまでも居残っていることを快く思っています。老人をめぐり、ふたりのウェイターの間で言葉が交わされます。やがて、語り手法は三人称から一人称の内的独白へと変わり、さらに「ナダ」(nada)というスペイン語で「無」を意味する言葉が「主の祈り」をもじった形で印象的に使われます。人の内面を深く掘り下げた、大変味わい深い作品です。

これを読んだ段階で、その的確さから期待が膨らむ。

自分にとって『ヘミングウェイで学ぶ英文法』の魅力は、効果的な英文法の勉強というより、一文一文を味わい直す楽しさにある。「この一行にはそういう意図が含まれていたのか」とか「そこは誤解していたな」とか、作品への理解が深まる。

詳細な内容の紹介は控えるが、一つだけ例を挙げると次のような「問い」がある。

The old man sitting in the shadow rapped on his saucer with his glass.The younger waiter went over to him.

問題:このoverにはどんなニュアンスがありますか?

チクタクチクタク…

皆さんの頭の中に深夜のカフェが浮かんでいると思うが、このoverは何を意味するのだろう。overが無くても文章としては成立する。

では翻訳を見てみよう。

影の中の老人がグラスで受け皿をコツコツと叩いた。若いウェイターがそちらに行った。

おそらく、overが無いとしても同じ訳になるのではないだろうか。

では、overの有無で何が違うのか?

動詞と前置詞の間に副詞のoverが入ることで「空間を横切って近づいて前まで行く」というニュアンスが加わる。ただ「行く」のではなく、誰も客のいないカフェのテーブルの間を縫って若いウェイターが歩いていく距離感をイメージできるのだ。

多くの読者にとってどちらでもよいことかもしれないが、こういう微細な一単語まで吟味したくなるのがヘミングウェイの凄さだと改めて思う。文法の問題を解くほどに作品の味わいが増していく。

それと、『清潔な明るい場所』という短編は、ゴヤが描いた『戦争の惨禍』にインスピレーションを受けているようだ。底知れぬ絶望感が漂う絵画で、戦争の惨たらしさや権力への批判がそこには込められている。物語のはじめの方に、兵士と娼婦がせかせかと歩いて通り過ぎるシーンがあるが、「戦争」を念頭に置いて読むとまた違った色合いを帯びてくる。

結論:良い短編は噛むほどに味が出る、ということ。

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