今回はちょっと長い記事になるかも。
『成熟すること、崩壊すること』(原題:Coming Of Age,Going to Pieces)は、「ニューヨーク・タイムズ・ブック・レヴュー」のためにカーヴァーが1985年に書いた書評。
個人的にかなり熱い内容であったため取り上げることにした。
ちなみに1985年はどのような年だったかというと、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開され、『We are the world』が世界規模で話題に。レーガン大統領の2期目がスタート。(日本国内では日航ジャンボ機が墜落、ファミコン『スーパーマリオブラザーズ』が空前の大ヒット、おニャン子クラブが社会現象になった)
そういった時代背景の中で書かれた書評である。「書評」というのは特定の本を批評する文章のことで、『成熟すること、崩壊すること』の中でカーヴァーはジェフリー・マイヤーズが書いたへミングウェイの伝記『Hemingway: A Biography』に対して苛烈な批判を展開している。客観性や論理性がないとは言わないが、ブチギレているといっていいレベルだ。
感情が爆発している理由はシンプル。マイヤーズがこの伝記の中で膨大な取材データを駆使してヘミングウェイの人間性をこき下ろし、作家としての能力まで否定しているためだ。カーヴァーはヘミングウェイの大ファンなので看過できなかったのだろう。
ちなみに、カーヴァーは10代の多感な時期に夕刊の一面に載った「自分の死亡記事(誤報)を掲げて笑うヘミングウェイ」を見て、作家になりたいという思いを確固たるものにしたそう。
マイヤーズはヘミングウェイをフロイト的な視点から考察し、言動の下劣さや作家としての未熟さ、後期の衰退ぶりなどを細かく説明している。つまりヘミングウェイという作家は過大評価され過ぎだと。この伝記に書かれているのは嘘や噂話の類ではない。マイヤーズはヘミングウェイを知る人物たちに精力的に取材を行い、膨大な資料を元に論を組み立てている。
興味深いのは、カーヴァーがヘミングウェイの愚行に関して「それは事実と異なるぜ!」と怒っているのでなく、「そういうことがいくら暴かれようと作品は素晴らしいだろ!過小評価してんじゃねぇぞ、この糞マイヤーズ!!」とキレていることだ。人格と作品の質は必ずしも一致しないというのがカーヴァーの主張なのだ。
私はこのブログでヘミングウェイ作品への愛を語り、ヘミングウェイという人間への嫌悪を繰り返し訴えてきた。どれほど人としてヤバくても作品は素晴らしいと。こうしたわだかまりを抱えている読者にとって、『成熟すること、崩壊すること』はとても大きな意味を持つ。
カーヴァーはこの書評の締めで、マイヤーズの『Hemingway: A Biography』を読んでしまった人に解毒の方法を伝授している。それはヘミングウェイのクリアで清心でソリッドな作品を読み直すことで、それは紛れもない聖体拝領のようだとまで言い切っている。作家と作品は別物というのはやや強引な主張にも思えるが、個人的にはそこに賛同するしか活路がないという気がしている。