「キリマンジャロの雪」 アーネスト・ヘミングウェイ

「キリマンジャロの雪」 は、ヘミングウェイの複雑で繊細な性格がよく顕れている短編だと思う。

今回は少しばかり気持ちの鬱ぐような話を書くが、ヘミングウェイの人柄や家族への接し方を理解する一助になればと思う。

「世界中を躍動的に飛び回って人生を謳歌し、パパという呼称で親しまれたスター作家」これが多くの人がヘミングウェイに抱く人物像ではないだろうか。私も、以前はそうしたイメージを持っていた。しかし、ヘミングウェイに近しい人たちの言葉に触れるほどに、それが実像とかけ離れたものであることを知った。

アーネスト・ヘミングウェイの孫の一人にエドワード・ヘミングウェイという男性がいる。現在、ニューヨークで絵本作家をしている。両腕にいくつものタトゥーを入れた巨漢だが、動物のキャラクターなど実に可愛らしいイラストを描く。彼は祖父であるアーネストの没後に生まれ、小学生の頃に友だちから「君のおじいちゃんは有名人だよ!」と言われて初めて祖父の名声を知ったそう。つまり、エドワードの父(グレゴリー・ヘミングウェイ)や母は、祖父アーネストについて家で何も話していなかったということだ。その理由を、「思い出すのがきっと辛かったんだろうね」とエドワードは語っている。父グレゴリーは、アーネストの死後も癒えることのない心の傷を抱え、それは家庭内で一切に話題にできないほど根深かった。グレゴリーはどう育てられたのか?

グレゴリー・ヘミングウェイの人生はかなりスキャンダラスで、知っている方も多いかと思う。グレゴリーは、アーネストと二番目の妻ポーリーンとの間に生まれた次男(アーネストにとっては三番目の子ども)。どのような人生を歩んだかについては、精神科医の岡田尊司氏の「父という病」という本から抜粋されていただく。

「現実のヘミングウェイは、決していい「パパ」とは言えなかった。最初と二度目の結婚で生まれた子どもたちは、父親の喪失感や不在を味わわなければならなかった。子どもたちが父親に会えたのは、特別なときだけで、ヘミングウェイはその間だけいい父親だったが、子どもにとっては、いつもそばにいてくれるわけではなかった。(中略)グレゴリーは父親に似て、乗馬や狩猟といった屋外の活動を好んだ。だが、すでにその頃から精神的崩壊の兆候を示していた。ドラッグやアルコールに溺れだしたのだ。(中略)父親と同じく四度結婚したが、最後はマッチョな父親の正反対をいくように、性転換手術を受け、男自身を捨ててしまった。(中略)性転換してからも、グレゴリーは安定しなかった。裸で高速道路の中央分離帯にいて、逮捕されこともある。(中略)それほど深い自己否定や自己違和感を植え込むことになったのは、手本とすべき父親に捨てられたという心の傷ではなかったか」

グレゴリーは2001年、裸でマイアミを徘徊し、公然わいせつで逮捕された。そして、女子房に収監され、そこで病死している。なんとも切ない最期だ。

アーネスト・ヘミングウェイが、そのグレゴリーの母であるポーリーンとのアフリカ狩猟旅行を元に書いた短編が、1936年に発表された「キリマンジャロの雪」(原題:The Snows of Kilimanjaro)だ。ヘミングウェイはアメーバ赤痢にかかって入院し、小型飛行機で現地から運び出された時、機上からキリマンジャロを眺めた。細部は異なるが、大まかな流れは小説も同じだ。

この短編は名作と呼ばれているが、訳者の高見浩氏もあとがきに書いているように、「金持ちのあばずれ」のように妻や妻の一族への罵倒が露骨で、全体的に深みに欠ける。良い時のような品や艶がない。回顧シーンにも表現上の円熟が感じられない。当時、著者は30代半ばになっているので、それほど若いわけではないが、怒りや不満が充満した精神状態が作品ににじみ出ている。桁違いの大富豪であるポーリーンの叔父(化粧品会社の大株主)の庇護を受けている自分に我慢ならなかったこともあるだろうが、抑えられない富裕層への憎悪でギラギラしまくっているのだ。

実際、ヘミングウェイは相当の金銭的援助をその叔父から受けている。キーウエストの邸宅も彼から買い与えられれたもの。その邸にはキーウエスト最大と言われるプールもあるのだが、これもポーリーンがヘミングウェイに相談もせずに大金をかけて作ったそう。新車もプレゼントされており、サファリ旅行も全額負担してもらっている。そりゃ、援助を拒めずにいる自分の情けなさに腐りたくもなるだろう。デリケートでプライドの高いヘミングウェイにとって、その状況は耐え難いものであったはずだ。富裕層への嫌悪は、その後も長く抱き続けることになる。

このブログを読んでくださっている方はおわかりかと思うが、私はヘミングウェイのファンである。村上春樹氏は「ヘミングウェイのようなシャープで簡潔な文章を書く作家は他にいくらでもいる」的なことをインタビューで語っているが、私にとっては代替がきかない唯一無二の作家だ。見事な短編にいつも心酔している。それだけに、自己中心的で薄情な面が見えると残念で仕方がない。なぜ、生き方の手本になってくれないのか。なぜ、もっと男らしく生きてくれなかったのか。そうした気持ちになり、この人は自分にとってヒーローにはなり得ないと思ってしまう。まあ、そもそもが作家に期待しすぎなのかもしれないが。

今回はいろいろネガティブな話を書いたが、スター作家として生きるのは、ヘミングウェイのような繊細さと自尊心が強い人間にとっては想像以上に大変なことだったのかもしれない。自分自身をどうにも制御できないくらい、激しい潮の流れの中で苦しんでいたのかもしれない。「僕の父」という短編があるが、これは本当に素晴らしい作品だ。私の最も好きなヘミングウェイの短編かもしれない。言葉にできないほどに美しい。「僕の父」を書いた人間が、どうして実際の妻や子どもに薄情であったのか。私はまだ理解できていない。ヘミングウェイという人はやはり複雑だ。これからも作品を読み返し、その謎を解き明かしたい。

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

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ヘミングウェイの名言を原文に忠実に訳してみました。

説得力のある言葉の力で悩みを解消できるかもしません。

もしかしたら座右の銘が見つかるかもしれません。

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