「長いあいだ、これはグリセルダの物語だった」 アンソニー・ドーア

これはいい!こういう物語が書けたら最高だ。20代の若さで、しかもデビュー作の短編集というのだから、帯に書かれた「怪物級のみごとなデビュー」のキャッチコピーにも納得がいく。個人的な好みもあるが、ぜひ多くの人に読んでいただきたい。2002年の作品なのでとっくに読んでいるという方もいるとは思うが。

「長いあいだ、これはグリセルダの物語だった」 長いタイトルで何のこっちゃという感じだが、読後には本質的であり、情緒的でもあり、しっくりくる。原題はFor a Long Time This Was Griselda’s Storyなので、とても忠実な邦題だ。

要約すると、奔放で何をしても目立つ姉と対照的に地味な妹の話だ。姉のグルセルダは高校バレー部のエースで、妹のローズマリーはぽっちゃりした用具係。グルセルダはトレーラーで旅をする金物喰い(観客の前で金属を食べる芸)の芸人に一目惚れし、誰にも告げることなく町を出て行ってしまう。ローズマリーは、塞ぎ込んで仕事をクビになった母親の代わりに、高校を中退して紡績工場に勤める。1日14時間働く生活だ。そして、スーパーマーケットの肉売り場で働く太った男と結婚した。世界中を興行でまわる姉から定期的に届く手紙。そこにはローズマリーの知らない輝かしい未知の世界が広がっていた。

この短編では、姉と妹のコントラストが印象的に描かれている。タイトルからもわかるように、いつだって中心にいるのは姉のグルセルダ。妹がスポットを浴びることはない。姉のグルセルダが去って10年後、母親が浴室で自然死する。妹のローズマリーは一人で灰を裏庭にまくが、雨にくっついて固まってしまい、まったくドラマチックな儀式にはならなかった。スーパー勤めから夫のダックが帰ると、ローズマリーがベットにいた。そのシーンが強烈に印象に残ったので抜粋してみた。

シェイバーズから帰ったダックが疲れた足どりで寝室に入ると、ローズマリーが手足を広げてベッドに横たわっていた。太い足はまっすぐ投げだされ、ほほには涙が光り、ひざのうえにはひもできちんと束ねた封筒の束があり、ももにはぼろぼろになったぬいぐるみのパンダがのっていた。ダックは体を横たえ、片手で彼女の首筋に触れた。ローズマリーは涙を浮かべて彼を見つめた。いままで黙ってたんだけど、と彼女は泣きながら話した。姉さんからずっと手紙が来てたの。でも、母さんには知られたくなかった。知ってるよ、とダックはささやいた。

なんとも美しい。この数行で、アンソニー・ドーアは自分にとって重要な作家になった。確かに、自由に感性を踊らせて生きる姉の方が劇的でドラマになる。姉には姉の悲しみや痛みもあるだろう。でも、アンソニー・ドーアは妹の人生を真ん中に置いて描いた。それが、この短編のすべてと言えるだろう。

読後、ショーン・ペンが初めて監督をした「インディアン・ランナー」(原案はブルース・スプリングスティーンの曲「ハイウェイ・パトロールマン」)という映画を思い出した。包容力と正義感のある兄と自由奔放でヤンチャな弟の兄弟愛を描いた話だ。「長いあいだ、これはグリセルダの物語だった」とは異なる関係性だが、そこに漂う空気には共通した何かを感じる。とても重要な何かを。

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