1933年刊行の短編集「勝者に報酬はない」(原題:「Winner Take Nothing」)に収められた一篇。この頃、ヘミングウェイは最初の妻ハドリーと別れ(長男とも別れ)、実在の人物をモデルにして書いた「日はまた昇る」で大ヒンシュクを買ったこともあり、居心地の悪くなったパリからフロリダ半島南西の島キー・ウェストに居を移している。父親の自殺があり、アフリカ・サファリへの旅もあり、公私ともに陰と陽が入り混じった激動の時期を過ごしている。
「嵐のあとで」 (原題:After the Storm)は、実話をベースにした短編である。実話といってもヘミングウェイ本人が経験したことではなく、キー・ウェストで知り合ったソンダーズという船長から聞いた逸話らしい。
男が馬乗りになり、首を絞める。ナイフで腕の筋肉を切り裂いて、そこから逃れる。というかなりハードな書き出しだ。一人称で書かれており、主人公の荒っぽい口調もあってか、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」のような骨太なクライム・ノヴェルのムードが漂う。(影響を受けているのはジェイムズ・ケインの方なのだが・・・) 何人かに後を追われる「おれ」は、荒れた夜の海へと船で逃げる。追ってくる者はもういない。そして、嵐に襲われた難破船を発見する。船内のお宝を何とかして略奪しようと思うが、何度潜ってスパナで叩いても窓を割ることができない。その日は諦めて戻り、嵐が過ぎ去るのを待って再訪したところ、ギリシャ人が爆薬を使って一切合切を奪い去った後だった。
なかなか男臭い話だ。状況がいかに最悪であっても諦めずに闘い抜く、といったヘミングウェイが好む不屈の精神が描かれている。「敗れざる者」や「老人と海」などと同じテーマと言えるだろう。
主人公の男がかっこいいかと言えば、そうは思えない。勇気や生きるエネルギーをもらえるかというと、それもない。読み手を熱くするような読書ではないのだ。「敗れざる者」や「老人と海」もそうだが、主人公に同化するのは難しいと感じた。闘い続ける理由も特に書かれていないため、主人公と読者の気持ちが乖離してしまい、どこか醒めたまま読み進める感じになる。
「嵐のあとで」「敗れざる者」「老人と海」、これらの作品の一般的な評価は高いのかもしれないが、正直なところあまり好みではない。ヘミングウェイはとてもデリケートな性格であるため、不安や虚しさに押しつぶされないように抗っていたのかもしれないが、今ひとつそれが伝わってこないため、著者の自己満足に感じられてしまう。確かに、この時期のヘミングウェイは精神的にいろいろな苦悩を抱えていた。「日はまた昇る」のモデルとなった人物からの罵詈雑言、資金を援助してくれる大金持ちの叔父からの束縛、大恐慌に苦しむアメリカ社会からのバッシング、実父の突然の自殺、新しい恋人との人生を歩み始めた最初の妻ハドリーへの複雑な思いなど、思い浮かべるだけで憂鬱になることが山ほどあったはずだ。「不屈の精神」を作品で描こうと考えたのは自然なことだったのかもしれない。
ちなみに「嵐のあとで」は映画化されており、予告を見ただけだが、原作に忠実でないのがわかる。(女性が出ている時点でもう違うし) 登場人物もプロットも変えてしまうなら、この原作を使う必要はないと思うのだが、「アーネスト・ヘミングウェイ原作」という言葉はやっぱり興行的には強いのかな。
勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)