「ここから世界が始まる」という短編は、ニューヨークの公共図書館が所蔵している未発表短編14篇を収めたトルーマン・カポーティ初期短編集の表題作である。
いきなり短編の話から逸れるが、昨日、飛行機の雑誌を探して一人で書店をぶらぶらしていた。私は羽田空港のすぐそばで幼少時代を過ごした。幼い日の空にはいつもジャンボ(B747)が飛んでおり、今でも写真などで見るとノスタルジーを覚える。マニアというわけではないが、ボーイングやエアバスなどの大型旅客機が大好きだ。
何を言いたいのかというと、書店を徘徊している時(いや、航空機の雑誌を探していたのだから徘徊ではない。まあ、どっちでもいいのだが)、たまたま平積みされたカポーティの短編集を見つけた。
飛行機の話は要らなかったね。。。
この短編集、2019年2月に出たばかりの新刊らしい。収められているのは、カポーティが高校時代から20代初めまでに書いた作品で、デビュー前の若書きに触れることができる。
表題作である「ここから世界が始まる」だが、ずばりこれはいい!もちろん、その後に書かれた珠玉の作品群ほどの精度はないが、闊達で、伸びやかで、とても瑞々しい。数ある未発表短編から厳選したものであるためか、充分に大人の鑑賞にも耐え得る。というか、影響を受けそうなほどに魅力的である。とにかくチャーミングなのだ。習作とかスケッチといった見方も多いようだが、私は入魂の一篇だと感じた。
本作は、空想癖のある女子高生と、形式で縛ることしかできぬロボットのような数学教師とのやりとりを描いた物語だ。(あらすじだけだとなんだか別の話のよう) カポーティは、自身の感受していることを、真髄を理解していることを、この作品で素直に表現している。主人公の女子に自身を重ねて描いたのだろう。若書きなので過度に期待せず読んだのだが、さすがは天才作家、予想をはるかに超えてきた。カポーティを一度も読んだことのない方に薦めるかと訊かれたら迷うが、私にとっては重要な短編となった。
個人的な解釈だが、この短編に描かれているのは「超越」だと思う。社会のシステムや常識に隷属するだけのロボット人間に対し、この主人公は正面から闘いを挑むのではなく、想像力で軽々と超えていってしまうのだ。既存のルールに縛られたりしない。彼女は、痛々しいほど奔放にいつだって超越していく。結果として、傍目には随分と損をしているように映る。だが、その超越があるからこそ、彼女はクズにならずにいられるのだ。忘れてはいけないことを教えてくれる短編だと思う。