*ネタバレ有り
物凄く乱暴に要約すると、アメリカの田舎町で生活するジェリーが、ナンパしようと声をかけた若い女性を突如殺めてしまうというインパクトの強い話だ。(いくらなんでもまとめ方が雑過ぎる)「えっ、何が起きたの?」と読者がどぎまぎしてしまうほど衝撃的なエンディングである。
若くして結婚したジェリーには子どもがいて、スーパーマーケットでの仕事は順調。割と広いマイホームも購入している。平凡ではあるかもしれないが、人並みの幸せを手に入れ、不自由なく暮らしていた。夫婦間での諍いはない。深刻なトラブルも抱えていない。ジェリーには特にこれという殺しの動機が無いように思える。それなのに、あまりにも唐突に信じられないような凶行に及ぶ。
親友のビルは、憂鬱そうに沈み込んでいるジェリーの様子が気になっていた。その原因は説明されていないが、高校をドロップアウトしていたことを引きずっており、この先の人生に希望を見出せずにいることが読み取れる。失業や離婚といった目に見える悩みではないが、今以上の出世や成功を望めないという漠然とした絶望感に心を支配されている。華やかな未来は期待できない、いずれ皆に追い抜かれていく、先細っていく人生…。そうした鬱屈が、凶悪な犯罪という形で発露してしまう。
この短編をアメリカの社会構造への批判と捉える人もいるようだが、もっとパーソナルな問題に思える。ジェリーは人並み、あるいはそれ以上の幸せな家庭を持っていて、仕事も充実している。立派なマイホームも手に入れているだけに、社会制度の被害者という見方はあまりピンとこない。もちろん、心の問題がシステムと無関係ではないが。
これは私の解釈だが、高級車に乗りたいとか、もっと派手に遊びたいといった俗な欲望しか持てないジェリーという男の心の貧しさを描き出しかったのでないだろうか。ジェリーにとっては物欲や性欲を満たすことが何より重要で、利他的な視点はそこにない。そうした卑しさをこの短編で露わにしたかった、そんな気がする。
ちなみに、1993年のアメリカ映画「ショート・カッツ」(監督:ロバート・アルトマン)は、「出かけるって女たちに言ってくるよ」「隣人」「ダイエット騒動」「ビタミン」「頼むから静かにしてくれ」「足もとに流れる深い川」「ささやかだけれど、役にたつこと」「ジェリーとモリーとサム」「収集」「出かけるって女たちに言ってくるよ」などのカーヴァー作品が元になっている。
愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)