「サマー・ピープル」 アーネスト・ヘミングウェイ

優越感に浸るサイテーの若造を主人公した嫌味に満ちた作品である。この読後感の悪さはなかなかのものだ。でも、失敗作というわけでもなく、読む価値はあると個人的には感じた。

記憶がはっきりしないが、私が初めて読んだヘミングウェイの短編がこの「サマー・ピープル」であった気がする。当時、作品の良し悪しを判断する力は自分にはなかったが、何故だか強く心に残った。(世の中に反抗していた時期だったので、その時の気分にハマったのかもしれない)

今回、久しぶりに読み返し、この作品の欠点がよくわかったww。「サマー・ピープル」って世の中の評価もかなり低い短編だと思うが、そりゃそうだろうなと思う。

ストーリーと呼ぶほどのものはない。若い男女が湖畔のリゾート地で戯れる、言って見ればそれだけの話だ。主人公のニックが、奥手でウブなオドガーを出し抜いてケイトと夜を共にする。この作品のニックは、常にどこか高慢で、人を見下したような態度を取りつづける。言動にいちいち嫌味があり、それが鼻につく。つまり、殴ってやりたいような気取った野郎なのだ。訳者の高見浩氏は、独りよがりの優越感がストレートに出すぎているせいで読後の後味が良いとは言えないと、あとがきに書いている。

「サマー・ピープル」はヘミングウェイ短編集3に収録されているが、晩年の作品という訳ではない。実はこの作品、ヘミングウェイの生前には世に出ていない。著者の死後に刊行された「ニック・アダムズ物語」で未発表作品として発表されている。ヘミングウェイが20代の半ば、「雨の中の猫」と同年に書かれた作品だ。「雨の中の猫」と言えば、ヘミングウェイの短編の中でもトップクラスの名作で、当時すでに表現者として相当なレベルにあったことがわかる。

「サマー・ピープル」はヘミングウェイの性格上の欠点が出てしまった駄作と私は思わない。鼻持ちならない若者をあえて主人公に置き、奢っていた自分を客観的に描き出そうとしたのだと思う。ただ、結果としてうまくいかなかった。驕りを表現するという点では成功しているかもしれないが、読んで気持ちの良い作品には仕上がらなかった。高見氏が言うように、独りよがりの優越感がストレートに出すぎてしまった感は否めない。

まあ、「雨の中の猫」と比較されたら大抵の短編は失敗作になってしまう。生前未発表だったのだから、不出来であることは指摘されなくても著者自身が感じていたはずだ。毎度のことだが、未発表作を読むと、なんだか申し訳ないような複雑な気持ちになる。

蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ全短編〈3〉 (新潮文庫)

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