『雨』 安岡章太郎

ジトジトと絶え間なく降る雨の中、レインコートの内にナタを隠し持ち、強盗を決行しようと町を彷徨く男。安岡章太郎作品に多いウェットさと軽妙さを併せもつ奇妙な短編だ。行き場の無い疎外感、自己肯定感の低さ、…あぁなんと暗いことか。テーマも重い。

ちょっと想像してみてほしい。

重いナタを首からぶら下げ、雨に濡れながら公園の草むらでじっと獲物が通りかかるのを待っている。そこに独り言を呟く坊主頭の男が立ち小便をする。無性に腹が立つが、草むらから出ていくことはできない。

深い文学的な意図が込められているとわかっていても、ここまでthickだとやはり好みは分かれると思う。

村上春樹氏は、日本人作家の中で安岡章太郎を高く評価している。その逃げていくような文章が好きだという。そう言われると、重いテーマ×柔らかな文体という組み合わせは両氏に共通しているように思える。

結局のところ、この短編では最後まで何も事件は起きない。スティーヴン・キングの小説なら100%大惨劇になっているだろう。誤解を恐れずに言えば、スプラッターの方が潔くて明るい。私は幼い頃に母親から「明るいものは善、暗いものは悪」と教育(洗脳?)されてきたので、どうしても陰なムードを受け付けない部分がある。ディスっている訳ではなく、自然と拒絶反応が出てしまう。(カポーティの闇やカーヴァーの鬱もキツい)

例えがズレているかもしれないが、プロ野球よりもメジャーリーグに魅力を感じる。それは外国かぶれとか見栄を張っているとかでなく、「球場が天然芝で、屋根が無いため開放感に溢れている」というのが理由だ。ヘミングウェイも然り。著者自身に華があり、作品の舞台も広大で風が通っているものが多い。主題がどうあれ、その明るさにまず惹かれてしまう。

どんどん脱線していきそうなので、今日はここまでにしようと思う。今回の記事のように批判的な感想を書くと、Amazonで買って読もうという意欲を喚起しないので、アフィリエイト的にはマイナスだ。まあ、アリフィエイトなどどうでもいいけどね。


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