「陰気な愉しみ」 安岡章太郎

戦時中の負傷から重病に罹り、その後遺症によって国から手当てをもらって生きる若者。その複雑な心理を描いた短編だ。特に起承転結があるわけでなく、リアリティあふれる情けなさが全体を覆っている。病気が体から逃げ出して手当がもらえなくなってしまうことを、この主人公は恐れていたりする。覇気やプライドのないダメダメな感じを全否定したくなるところだが、不思議と自堕落さに親近感を覚えてしまう。

文体はゴツゴツしたところがなく、読んでいて自然と頭に入ってくる。読みやすいけれど薄っぺらさはなく、深みもある。戦争と虚無という点で、ヘミングウェイの「兵士の故郷」を思い出させる部分もあるが、あそこまでシリアスに描かれておらず、ずっとユーモラスで緩いムードに包まれている。

この短編は「悪い仲間」という別の短編とのあわせ技で芥川賞を受賞したそうだ。その時、著者の安岡章太郎は23歳くらいで、年齢より遥かに円熟した流麗な文章で驚かされる。

しつこいようだが、この主人公には現状を打開しようする意志がない。将来への夢も持っていない。完全に力が抜けている。「質屋の女房」の記事でも書いたが、個人的にはこういうタイプの話には物足りなさを感じてしまう。私が言うのもおこがましいが、安岡章太郎が好きな人の気持ちはわかる。そして、安岡ファンはセンスが良くて思慮深い人が多い気がする。(そんな気がしてならない) 私はハマらないが、柳のようなしなやかな語り口には少し嫉妬する。自分よりも大人だなと思ってしまう。

村上春樹氏は戦後の日本の作家の中で、安岡章太郎がいちばん好きとのこと。確か、プリンストン大学で日本文学を教えていた時、「第三の新人」をテーマとして取り上げていた。そう言われると、物事との衝突をかわしていく柔らかさが二人は似ている気がする。

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