1999年初出で、翌年に発行された連作短編集「神の子どもたちはみな踊る」に収められた作品。著者によると、地震(1995年に阪神・淡路大震災が発生している)がもたらしたものを象徴的なかたちで描こうとしたとのこと。震災だけでなく、地下鉄サリン事件も作品に影を落としているという指摘もよく聞く。
「UFOが釧路に降りる」はイメージ換気力の強いタイトルだが、UFOはほとんど出てこない。直接的な地震の描写はないが、地震を契機に何かが失われ(損なわれ)、一人の人間の心がすっかり変わってしまう。そういった不可逆性の転換を不穏なトーンで描いている。
ちなみに、この短編は「僕」という一人称ではなく、三人称で書かれている。
妻が震災のテレビ報道を凝視しつづけるという状況が何日も続く。何を考えているのか夫には理解できず、異様な光景に映る。妻は夫に対し、あなたには中身がないという内容の置き手紙を残して失踪してしまう。夫は有給休暇を取ることに決める。会社の後輩に、休暇中の予定が決まっていないのであれば、小さな箱を釧路まで持って行って欲しいと頼まれる。箱の中身はわからない。その依頼を承諾し、釧路へと向かう。空港で出迎えた二人の女性とともにラーメンを食べ、三人はホテルに入る。
といったストーリーだ。
男は結婚して魂の抜け殻になってしまった。地震の影響により妻の内面で何らかの決定的な変化が起き、辛辣なメッセージを残して去ってしまう。奇妙なきっかけで遠方へと旅に出たことで、男は忘れていた心を取り戻す。この解釈が正解かどうか自信はないが、大きな揺さぶりによって妻が変質し、結果的に夫も変質する。そして、もう二度と元に戻ることはない。そういう心の変化を暗に描いた短編なのかなと思う。
再読ではあったが、普通に面白かった。話の運びがとてもナチュラルで、展開のスピードもほどよい。余計な描写が無いためにテンポが良く、リニアに映像が頭に浮かぶ。どの場面もどことなく謎めいていて魅惑的だ。
エラそーに言うつもりはないが、村上春樹氏の短編はとてもクリエイティブで、読者を楽しませようとするサービス精神が旺盛だ。うまく説明できないがフィッツジェラルドのことが好きというのはよくわかる。私は創造的な小説より実在的な小説の方が好みではあるが、それでも充分に読書の愉しさを堪能することができた。