「ぼくが電話をかけている場所」は、1982年に「ザ・ニューヨーカー」という雑誌に掲載された名編で、1938年生まれのカーヴァーが40代半ばに書いたものだ。
原題はWhere I’m Calling From。ここからもわかるように物語は一人称で書かれている。実際にカーヴァーがアルコール中毒療養所に入っていた経験をベースにしており、主人公の「ぼく」はカーヴァー自身と重なる。療養所の描写にはとてもリアリティがあり、特に悲惨でもなく、特に情緒的でもなく、他の作品と同じように〝何気なく選んで切り取ったかよう〟にとても自然に描かれている。どこまでが実話であるのかはわからないが、まるで作為を感じさせない。
カーヴァーの多くの作品同様に起承転結はなく、アルコール療養所に入った「ぼく」が患者仲間であるJPの身の上話を聞く、というだけの話だ。(なんと32字で粗筋が書けた) それだけではあるのだが、私にとってはカーヴァー作品の中でもベストなものの一つであり、感じるところも多い。
JPはポーチで「ぼく」に次のような話をする。12歳の時に井戸に落ちたことがあり、父親にロープで助けられるまで長い時間を井戸の底で過ごし、ありとあらゆる種類の恐怖を感じた。見上げると、頭上には丸く切り取られた青空が見える。時折、白い雲や鳥の群れが丸い空を横切る。普段は気にも留めずにいた空が、井戸の底ではがらりと様相を変えて見えた。それは、元の世界に戻っても頭から消えることがなかった。JPの語りはとても印象的で、読み手に鮮明な映像を喚起する力がある。
アルコール中毒で社会生活がままならない人たちが入る療養所。それは、井戸の底と重なる。それまでの暮らしを思うと、見慣れているはずの風景がまるで異界のことのように遠くに感じられる。世間から絶たれた空間に身を置くことで、当たり前の家庭や仕事の尊さに気づく。
青空の、その青さを気に留めることもなく、煩悩にまみれ暮らす日々。この短編は、とても大事な気づきを読み手にくれる。それにしても、リアリティはそのままにささやかな希望を匂わせる締めの一文は秀逸だ。