いやぁ、素晴らしい短編だ。
久しぶりに記事を書いている。殊更アピールするつもりはないが、仕事が多忙を極めていて、エッジでどうにか踏ん張って立っているような毎日だ。もちろん有り難いのだが、やはり精神的にはキツい。終わりが見えない。まあ、考えても仕方ないのだが。
「かえるくん、東京を救う」は1999年初出のかなり有名な短編である。時期としては1995年の阪神大震災の後であり、この短編については地震が執筆の動機になっていると思われる。(「かえるくん、東京を救う」が収録された「神の子どもたちはみな踊る」は、「地震のあとで」という連作形式で発表された短編をベースにしている)
首都直下型地震を未然に防ぐためにカエルとミミズが壮絶な闘いを繰り広げるというファンタジーなのだが、「地震」というモチーフは実はそれほど重要ではない。
あらすじはあえて書かないが、かえるくんのキャラクターがとてもチャーミングで、とにかく面白い。ほのぼのしたタイトルが付けられているため、性に合わないと敬遠している人もいるかと思うが、中身はかなりロックしている。
読書中、心の深い場所に降りていくために「物語」が機能しているという感覚を味わった。荒唐無稽な話に思えるのだが、実は著者自身が言うところの「物語という通路」がそこには在る。確かに在ると感じることができる。そういう意味では、卓越した著者の表現力を堪能できる一篇だ。
人は心の中に善と悪を併せ持ち、誰もが混濁を抱えている。この短編では闘いのシーンがまったく描かれていないが、それは善と悪そのどちらも自分自身であるからと解釈することができる。善悪の境界の曖昧性を描いた作品と言ってもよいのかもしれない。著者の長編をあまり読んでいないので、これ以上の深掘りはできないが。。。
特に私が心を打たれたのは次のかえるくんの言葉だ。
「これは責任と名誉の問題です。どんなに気が進まなくても、ぼくと片桐さんは地下に潜って、みみずくんに立ち向かうしかないのです。もし万が一闘いに負けて命を落としても、誰も同情はしてはくれません。もし首尾良くみみずくんを退治できたとして、誰もほめてはくれません。足もとのずっと下の方でそんな闘いがあったということすら、人は知らないからです。それを知るのはぼくと片桐さんだけです。どう転んでも孤独な闘いです。」
誰も見ていなくても、ほめてもらえなくても、正しい行いをする。実際には口で言うより遥かに難しいことかもしれないが、今の自分はまったくできていないかもしれないが、そのように生きられたら素晴らしい。そうした孤独な闘いを黙々と続けていくことで、人格は作られていくのではないだろうか。