この「人喰い猫」は、後に長編「スプートニクの恋人」の後半部分となった短編らしいが、未読なのでその話はしない。(正確には、「しない」ではなく「できない」)
うらがなしい雰囲気の漂う短編で、短いながらも人生について考えさせられた。
物語の語り手である「僕」とイズミはW不倫の関係。それがバレ、どちらの家庭も崩壊してしまう。イズミの発案により、二人は東京を離れてギリシャの孤島に住むことにする。日本から遠く離れた土地で特に目的もなく、緩く暮らしていたが、ある日イズミが姿を消してしまう…という話だ。作品全体が気怠いムードに包まれているため、展開はそれなりに激しいが忙しい読書という感じはない。
妻子との関係が絶たれ、そこそこ気に入っていた職場も辞め、大田区のマンションを出て、最後にはイズミまで失ってしまう。
この短編では、自己を規定していた関係性を一つ一つ喪失し、自分という実体を見失っていく「僕」が描かれている。(合っていますか?) 最後はどこか地の果て、あるいは海の底にでもいるかのようで、底知れぬ怖さに襲われた。誰とも繋がっていない。何とも繋がっていない。見知らぬ国に独りきり。ポール・セローの短編「ワールズ・エンド」に通じる閉塞感を覚えた。(あの短編に出てくる愛情の醒め切った妻の態度、あれほど怖いものはない)
主人公の「僕」は、妻や子どもの気持ち、イズミの気持ちさえ実はわかっていない。そういう共感性の低い人間の末路を描いている短編だとしたら、なお怖い。一般的に男性は女性よりも共感する能力が劣っているらしいが、自己愛性パーソナリティ障害や自閉症といった精神医学の見地から専門家にこの短編を分析してほしい。
なんだか、いろいろ考えさせられてしまった。感情を揺さぶる力を持った短編だと思う。