「調子はどうだい、ジャック?」おれは訊いた。
「こんどやるウォルコットってやつ、見たことあるか?」
「ジムでならな」
「そうか」ジャックは言った。「あの若造が相手じゃ、よっぽど運に恵まれねえとヤバそうだな」
「あんたには当たらねえよ、ジャック、やつのパンチは」ソールジャーが言った。
「だといいがな、じっさい」
「五万ドル」(原題:Fifty Grand)は、このようなハードボイルド調の会話で始まる。「男だけの世界」(原題:Men Without Women,1927年)というこれまた男くさいタイトルの短編集に収められた女性抜きの一篇だ。これぞヘミングウェイ!と絶賛する人もいるかと思うが、うーん、なんと言うか、面白くないとは言わないが、正直なところグッとくるものがない。ボクシングやら闘牛やらサメとの格闘やら、男性的な題材をゴツゴツ骨ばった文体で描写することへの憧れが著者にはあったのだろうが、どこかムリして書いているような作為感のようなものを覚えてしまうのだ。これはあくまで個人的な感想なので反対意見もあるとは思う。
こういった男っぽい話はヘミングウェイには似合わないと私は感じる。惹かれる気持ちは理解できるが、女性的とも言える繊細な感性こそがヘミングウェイの得意とするところではあり、最大の魅力ではないだろうか。「雨の中の猫」「白い象のような山並み」「清潔で、とても明るいところ」といった感情が細やかで透明感にあふれた作品群と比べてしまうと、「五万ドル」「殺し屋」「老人と海」など男性的な作品は精彩を欠いている(ように私は思う)。 ヘミングウェイは私生活で多くの問題を抱えていた人なので、バッシングの重圧や後悔の念に屈しない強靭な精神を描き出したかったのかもしれないが、それが読者にとって魅力的に映るかはまた別の話だ。
この物語のあらすじはこう。不眠症のベテランボクサーのジャックが、若いウォルコットというチャレンジャーの挑戦を受ける。試合前、ジャックのもとに裏社会の人間が訪ねてくる。ジャックは、自分の対戦相手であるウォルコットに五万ドルを賭ける。そして、試合にのぞむが・・・
まあ、こういった話だ。自分の対戦相手に大金を賭けてリングに上がるという捻った設定のため、どうも読んでいてモヤモヤしてしまう。言葉選びも文体も単純化しているのに、ストーリーからは複雑で不明瞭な印象を受けてしまう。ある意味でリアリティがあるとも取れるが、どう読めばいいのか正直ちょっと困惑してしまった。
今回は批判的な言葉が多くなったが、私の感想は偏っている気もするので、皆さん自身が読んで判断してほしいと思う。
われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)