『食い違い』 ブライアン・エヴンソン

原題はDiscrepancy。翻訳を担当した柴田元幸氏は『食い違い』という邦題を与えているが、discrepancyを直訳すると「不一致」や「差異」といった意味かと思う。この短編は、テレビや会話などの音声が遅れて聞こえてくる女性を描いているので、『不一致』という邦題でもよい気がするが、『食い違い』は原題よりやや強いニュアンスがあり、良い意味での引っ掛かりもある。

テレビの映像と音声がシンクロしない。夫の唇の動きと声がシンクロしない。医者に行っても、テレビのトラッキングの問題だと一蹴されてしまう。何かが少しずつ狂いはじめ、それがじわっと進行していく危うさが物語全体を覆っている。

この奇妙な症状を抱えた女性は、夫とも、浮気相手とも、医者とも自然なコミュニケーションがとれない。どこかギクシャクしていて、目の前にいるのに遠くにいるかような隔たりがあり、独特の閉塞感を醸し出している。

読後の印象としては、勢いよく一気に書き上げたというのではなく、時間を掛け推敲を重ねて練り上げてきた文章だと感じた。メンタルが崩壊していくアンバランスさが、とても緻密にデリケートに描かれている。

これは完全に好みの話になるが、正直『食い違い』にはあまりグッと来るものがなかった。エヴンソンの短編であれば、『追われて』のようなガチャついた作品の方が好みだ。

現代アメリカ文学の最前線に立つ作家と称されるブライアン・エヴンソンだが、個人的はそのあたりはあまりピンと来ていない。否定はしないが、なんとなくピンと来ない。この作家はリアルにちょっと病んでいるイメージがあり、文学的ホラーと呼ばれるような枠を逸脱したヤバさもある。穿った見方かもしれないが、そうした奇才キャラで得をしている気もする。ファンに怒られそうだが、エヴンソンが書いたのだから凄いに決まっている的な空気が蔓延しているような、してないような…。もちろん読んでいて退屈はしないが、自分とは別の世界に生きている人というような距離を感じてしまう。まあ、相性の問題かと。エヴンソンが描く不安定な心の恐怖より、個人的にはスティーヴン・キングが描くスプラッターの方が好きかな。わかりやすいし。同じミニマリズムの小説ならカーヴァーの方が心に響く。つまりカーヴァーの方がスプラッターなのだ。そういった意味ではMMAよりキックボクシングが好きだし、オルタナよりヘビメタが好きだ。AC/DCとか聴きながら呑むビールは旨い。

何の話をしているのかわからなくなってきた。話が脱線していることに自覚はある。脳のグリップ力が顕著に低下してきたので、今日はここでおしまいにしようと思う。それじゃあ、また。

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