「七番目の男」 村上春樹

「七番目の男」 村上春樹

滑らかで淀みのない独白形式で書かれた、高校の国語教科書にも採用された1996年初出の短編だ。

あらすじはこう。

その夜の七番目の話し手として、50代半ばの男は話しはじめる。子どもの頃、台風の日の海で、友だちのKと犬が高波にさらわれてしまった。その場を立ち去れずにいると、高波の中で笑って手招きするKがいた。Kの遺体は発見されなかった。悪夢にうなされる日々に耐え切れず、両親の元を離れて長野に移り住むこととなった。40年以上、故郷には一度も戻らず、海にもけっして近寄らなかった。それでも悪夢は消えない。Kが昔に書いた風景画を見ていた時、事故の起きた海岸を再訪してみようと決意する。

前述したように、文章に淀みがなくてスラスラ読める。はじめはダークなホラーに思えたが、途中から生真面目なトーンへと変調していくような奇妙な印象を受けた。カポーティ風に心の闇を描こうとして書き出し、予定外の方向へ(良い意味で)筆が進んでいったというところだろうか。

著者自身はこう話している。

「僕は最初とにかく怖い話を書いてみたかったのだと思う。風の強い夜に、人々が集まっている。彼らは奇妙な話、不思議な話、恐い話を持ち寄っているらしい。七番目の男が立ち上がって、ゆっくりと自分の話を始める。不気味な予感の漂う話だ。(中略)でもいったん彼が語り始めると、最初僕が予定していた怪談的な『怖さ』は、どんどん違う方向にそれていって、べつのものにかたちを変えていった。」(ウィキペディアより)

この物語は、著者の短編の中ではわかりやすい部類に入るだろう。難解な比喩がないため、謎解きが要らない。普通に読めば、「トラウマから逃げす、正面から向き合うことで解き放たれる」といった普遍的な主題が浮かび上がってくる。

阪神淡路大震災と結びつけた解釈もあるようだが、逆らえない脅威や暴力は中心的なテーマではなく、もっとパーソナルな話だと私は感じた。

この短編は、ほぼ独白で占められている。主人公が何らかのコミュニティに参加しているのだが、その集団についての紹介はない。話をする順番として七番目であるという説明しかない。著者が意図したかはわからないが、心の傷や不安をアウトプットすることで、気持ちが整理・再構築され、結果として回復につながることがある。私も日頃から実感しているが、言葉にして話すことで、あるいは文章化することで、モヤモヤは割と解消される。日記にもそういう効果がある気がするが、行き詰まったら話してみる、あるいは書いてみることをお勧めする。

「七番目の男」は、とても良質な短編だと思う。何より面白い。

でも、この男ほどトーク力のある人ってそうはいないだろう。表現力も構成力も素人のレベルじゃない。そういう意味ではリアリティがないとも言える。でも、そこを深堀するのはやめておこう。案外、ややこしい問題のような気がするので。

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