「赤い手帳」 横山秀夫

今回はガチの日本人作家である横山秀夫の「赤い手帳」を取り上げる。何が「海外 短編小説 解題」だよと言われそうだが、いろいろな文体を食したくなる気持ちをどうかご理解いただきたい。サリンジャーの後に横山秀夫を、カポーティの後に山本周五郎を、朝にトルストイ、就寝前に西村賢太。そういう脈絡のない気まぐれ読書が私のスタイルなので。

開き直ってみたところで、小説の話へ。

これまでに何度か「赤い手帳」を読み返しているが、オチを知っていてもやはり引き込まれしまった。サスペンスものなので筋は書かないが、癖が強くて有能な倉石検死官を主人公にした短編で、ストーリー展開の巧みさと男くさい語り口で一気に読ませてしまう傑作だ。「赤い手帳」が収められているのは「臨場」という短編集だが、横山作品ではこれが一番好きかもしれない。倉石検死官ものはドラマ化されているのでご存知の方も多いかと思う。

それにしても文体がフルタイム4WDみたいにゴリゴリで、どこを切っても濃厚な横山節を堪能できる。一つ一つの言葉選びがピタッと決まっているので、とても小気味いい。でも、女性受けは良くないだろうな。

例えば・・・

従順で腰の低い警察官に慣れきった学者らのことだ、組織の子宮を食い破って現れたような倉石の無頼はさぞや新鮮に映ったろうと頷ける。

とか

あわや刃傷沙汰の修羅場もくぐるが、そんなあれこれも琥珀の液体に混ぜこぜにして飲み干してしまっているようなところがある。

といった具合にオヤジ臭が強い。お世辞にもスマートとは言えないが、多くの中毒患者を生み出している癖になる文体でもある。

おそらく、読者の多くはストレスをたっぷり抱えている中高年男性だろう。横山秀夫の小説は、日本の閉塞的な企業に勤める会社員たちが抱える不自由さや息苦しさをうまいことドラマチックに転化してくれる。ちょっとシニカルに聞こえるかもしれないが、理不尽さに立ち向かう自分に酔えるのだ。

堀江貴文を信奉するような合理的な若者からは、

「我慢なんかしないでNoって言えばいいでしょ?」

「そんなに苦しいなら辞めて別の道をさがせば」

「くだらない組織の文化なんて壊した方がいいよ」

と全否定されるかもしれない。

私はロジカルな意見は嫌いではないが(一理あるから)、ドライに論破する連中を見ていると気が滅入ってくる。本能的に、その残酷さへの拒絶反応が起こるのだ。

「いろいろ事情があって、そう簡単には行かないさ」と苦虫を噛みつぶしてばかりの中高年男性が正しいとも思わないが。

共感しているのか、批判しているのか、自分でもよくわからなくなってきた。「赤い手帳」の話もほとんどしていないし、いつも以上にまとまりのない記事になっている。

取って付けたようでなんだが、倉石検死官の凄みはその観察力にあると思う。推理力とか洞察力の前に、感度抜群の観察眼がある。普通なら何気なく見逃してしまいそうな些細な違和感をキャッチする。もし、そうした能力を備えることできれば、我々が生きていく上でも大きなプラスになるだろう。テレフォン人生相談という長寿のラジオ番組があるが、さまざまな種類の悩みにわずかな時間の中で応えるには、精神障害や法律の知識より、観察力の鋭さが求められる。相談者の言葉遣いや息遣いの中に、問題の本質が潜んでいるからだ。

あっ、また小説の話から逸れてしまった。

制御不能なので、今回はここでお終いにしようと思う。雑な締め方とか言わないように。。。

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