完成度の高さに唸ってしまった。村上春樹の作品群の中でけっして目立つものではないが、実に丹念に練られており、イメージを喚起する力があり、余計なものがなくタイトに仕上げられている。プロの作家の力を感じる一篇だ。
あらすじを簡単に。
夫が仕事に出た後、何もすることがなく、ひとり窓辺の椅子に座って椎の木を眺めていた「私」。あたりがすっかり暗くなる時間まで眺めていると、不気味な音が聞こえてきた。すると椎木の木の根元の地面が盛り上がり、もそもそと獣が這い出てきた。きらきら光る緑色の鱗に覆われ、細く尖った鼻を持つ獣。しかし、目だけは人間を思わせた。鼻を器用に使って家の中へと入ってくるが、「私」への敵意や悪意は抱いておらず、プロポーズのためにやって来たと話す。人の心を読む特殊な能力を備えていて、言葉を発しなくても「私」の考えはすべて見抜かれてしまう。「私」はその能力を逆手にとり、獣が苦しむ痛々しいシーンを次々に想像する。獣は苦しみ、のたうち、やがて消えてしまう。
「緑色の獣」は平成3年に文學界に発表された短編だ。「氷男」とワンセットで書かれたらしい。純粋に物語を楽しめば良いのだが、緑色の獣が何の比喩であるのか、やはり答え探しをしたくなる。
私は評論家でも研究者でもないので、細かい分析はできない。ただ、獣は潜在意識の投影で、自分の内側から出てきたものであると感じた。ぼそぼそという音が自分の体から聞こえてくるように思えたこと。椎木の木は幼い頃に自分が植えたものでずっと見てきたということ。獣のセリフにカギ括弧が付いていないこと。そうした点から、「獣」が「私」の一部であるように思えた。偉そうに書いているが、その程度のことは、おそらく多くの人が感じているかと思う。。。
この獣は「私」を好いてくれている。プロポーズのために来たとまで言う。それなのに、「私」は獣を残酷なやり方で葬り去ってしまう。獣が「私」であるなら、「私」が「私」を殺したことになる。その後に待っているのは、光のない自己喪失の世界だ。夜の闇に支配される暗示的なエンディングが、読後に虚しい余韻を残す。