的確でナチュラルな描写、端的な表現の中に隠された微細な心の動き、やはり初期の作品は澱みがなく澄んでいる。その文章に触れているだけで嬉しくなってくる。
「医師とその妻」は、自伝的な色彩の強いニック・アダムズものの一つ。原題はThe Doctor and the Doctor’s Wife。このタイトルには、どこか二人の距離を感じさせる冷たいニュアンスがある。
湖岸に流れ着いた丸太を切らせるため、医師(ニックの父)はインディアンを雇う。やってきたインディアンは、その流木を盗品と決めてかかる。疑われた医師は激昂し、インディアンを帰らせてしまう。山荘に戻り、愛用している猟銃の手入れをしながら、今起きた出来事について妻に話す。癇癪を起こさなかったのかと問いただす妻。相手の方から喧嘩を仕掛けてきたのだと説明する医師。「散歩にいってくる」と立ち上がり、医師はポーチへ出ていく。涼しい林の中に入ると、そこで息子のニックが読書をしていた。そして、ふたりでクロリスを探しにいく。
こうしてあらすじを書いていると、どうという話ではないように思えるが、一流の作家だと改めて唸らせてくれる一篇だ。
医師には差別意識があり、肉体労働者のインディアンをどこか見下している。医師は、インディアンの口の利き方が気に食わず、激しい怒りを覚える。だが、喧嘩好きの大男を相手に、素手の殴り合いをしても勝ち目がない。殴り飛ばしたい衝動を抱きながらも、罵声を浴びせるだけで手は出さない。そこらあたりの行間を読ませる描写は巧みであり、猟銃の手入れをする様子からは心の揺れが伝わってくる。
医師の妻はクリスチャン・サイエンスの信者である。それが何を意味するのか、日本人にはわかりにくいかもしれない。著者はここで宗教や信心深い人間を批判している訳ではない。クリスチャン・サイエンスはキリスト教の一派なのだが、医療ではなく信仰で健康を守ろうという教えを特徴としている。つまり、医師の妻でありながら、医療を根本から否定しているのだ。夫婦間に亀裂があることは明らかだろう。二人の会話には、表面的には言い争ってはいないものの、気持ちの不一致による苛立ちが滲み出ている。
最後の場面で、息子のニックは母親に呼ばれているのにもかかわらず父親と過ごしたいと言う。父も、その気持ちに応える。ここにはヘミングウェイ自身の少年時代の心情が見て取れる。父親への思いと母親への思い、そこにははっきりとした温度差が感じられる。
医師は、いくつもの齟齬を心に抱えている。わだかまりをやり過ごしながら日々を生きている。ヘミングウェイは、そうした父親を等身大の男として、驕りや弱さを含めて冷静に描いている。著者は、この短編で何も判断を下していない。一つ一つの物事をただ客観的に捉え、理解し、それを正確に文章化している。
「作家の仕事とは判断を下すことでなく、理解しようとすること」
(The writer’s job is not to judge, but to seek to understand.)
これは有名なヘミングウェイの言葉だが、ここには自身の哲学や流儀を押しつけるマッチョさは微塵もない。「医師とその妻」を読んで改めて感じたが、良い時のヘミングウェイはとても穏やかで信頼できる観察者だ。世間を騒がすような派手な生活を送っていても、作品はとても思慮深く、安らかな美しさを備えている。
われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)