このところ、本業が忙しいため記事をアップできていない。やめたわけではないので、懲りずに時々覗いていただると嬉しい。
昨夜、こんなことがあった。
帰宅しようと自転車で走っていて、上り坂に差し掛かったので自転車を降りて押して歩いていた。街灯もない暗い道だ。はじめは気づかなかったが、少し先の道端に大きな黒い塊が見えた。はじめゴミの袋かと思ったが、小刻みに揺れている。犬にしては大きすぎる。恐る恐る近づくと、40歳くらいの男性が背中を丸めてしゃがみこみ、小猫を撫でていた。少し離れた場所に宅配便のワンボックスカーが停まっていたので、おそらく荷物を届けた後なのだろう。働き盛りの中年男性が、酷暑の中、ハードワークの合間に子猫を撫でている。私はなんとも言えない気持ちになり、思わず泣きそうになった。そして、無性にチェーホフが読みたくなった。
ということで、今回はアントン・チェーホフの短編「てがみ」の感想。
クリスマス、ひとり靴屋に奉公に出た孤児の少年が、親方たちの留守中、以前に世話になった家の大好きな旦那へ手紙を書くという話だ。過酷な労働を強いられ体罰に耐える今の生活と、旦那と暮らしていたかつての楽しく和やかな日々。そのコントラストが実にせつない。こうした悲哀の感覚は、チェーホフ作品を読むときには大抵は味わうことになる。作中では描かれていないが、ただポストに放り込んだだけの手紙が旦那の元へ届くはずもない。再びあの家に引き取ってもらいたい、という少年の切迫したクリスマスの祈りが届かないことを読者は知っている。遣る瀬ない物語の読後感に、胸がしめつけられるような気持ちになる。なんというか、このリアリティがチェーホフの作風なのだ。
年を重ねるごとに、自分にとってチェーホフは存在感の大きな作家になっていく気がする。最後にはチェーホフしか残らないのではないかと(不安に)思うことさえある。一度も読んだことのない方には、この独特のペーソスを一度は味わっていただきたい。好き嫌いが分かれる作家だとは思う。私も、大きな声でチェーホフが大好きとは言えない。(なんだか言いたくない)興味を持った方は、本を買って読む前に朗読で適性検査をするのが良いかもしれない。
まったくキャッチーではないし、ポジティブでもないので、くれぐれも楽しい読書を期待しないように。