このところ短編漬けになっていたので休息日を設けようと思っていたが、何気なくカーヴァーの短編集を捲ってしまい、知らぬ間に引き込まれてしまった。「依存症になってはイカン」と抑え込もうとしたせいもあって、かえっていつもより没頭していた。。。
ということで、今回はカーヴァー円熟期の傑作「熱」。本題に入る前に、予備知識としてレイモンド・カーヴァーの個人史を紹介しておきたい。
もちろん、時系列を踏まえて短編を読む必要などなく、余計な先入観を持ちたくないという声もあるだろう。ただ、背景を知ることで作品の味わいが深まるタイプの作家もいる。ヘミングウェイやカーヴァーはそのタイプという気がする。
くだけた書き方にしたので、面倒と思わずちょっと目を通していただきたい。
1938年、オレゴン州クラッツカニーに生まれる。41年にはワシントン州に移住。オレゴン時代のことはあまり記憶にないだろう。
1957年にメアリアン・バークと結婚。当時のカーヴァーはまだ10代だが、相手はなんと16才。長女誕生後に大学に入学している。60年頃から執筆を始めたらしい。
1971年に短編「でぶ」が「ハーパーズ・バザール」に掲載された。
1976年に短編集「頼むから静かにしてくれ」刊行。(*収録作品詳細)
アルコール障害で入退院を繰り返し、妻とも別居。40手前にして人生の窮地に。
1977年に詩人のテス・ギャラガーと交際をスタート。
1981年に「愛について語るときに我々の語ること」刊行。(*収録作品詳細)
1983年に「ファイアズ(炎)」刊行。(*収録作品詳細)「大聖堂」(*収録作品詳細)
作家としての絶頂期を迎える。
1987年に肺出血。肺がんの手術を受ける。
1988年6月にテスと結婚。8月2日にワシントンの自宅で50歳という若さで死去。8月4日に「象」が刊行された。(*収録作品詳細)
カーヴァーの場合、実人生を色濃く反映した作品が多い。上記の流れを知っておくと「若くて少し尖っていた頃の作品」とか「闘病中に気力を振り絞って書いた作品」といったように感じるものも多くなるかと思う。自分の場合は、瑞々しいムードが好きで初期の短編をよく再読する。逆に、晩年の「象」は重くて辛すぎる。先のことはわからないが、今はまだ進んで手に取る気持ちにはなれない。
今回取り上げた「熱」は83年の短編集「大聖堂」に収録された一篇。40代半ばの脂が乗っていた頃で、同時期に豊かな傑作を量産している。
カーライルは高校の美術教師で2人の幼い子どもと3人暮らし。妻はカーライルの同僚と駆け落ちし、カリフォルニアで新生活をはじめている。妻に逃げられて凹んではいるが、新学期までにベビーシッターを探さなければならない。19歳の娘を雇ってみたが、カーライルの居ぬ間に子どもたちを放っぽらかして乱痴気騒ぎ。わずか数日でクビにした。次に雇った高齢の家政婦は、何もかもが完璧だった。子どもたちへの対応も、人間性も問題がない。おかげで生活は安定し、心にもゆとりが戻ってきた。出ていった妻は頻繁に電話を掛けてきて、訳のわからないアドバイスを繰り返す。腹は立つものの、まだ未練もあった。カーライルが体調を崩して仕事を休んだ時、家政婦からオレゴンへ移住することを告げられる。彼は急に孤独を感じ、家政婦に向かって堰を切ったように失った妻への思いを語り出す。
カーライルという男は、カーヴァー作品には多いキャラではあるのが、温厚というか情けないというか、読んでいると焦れてくる。でも、なんとも憎めない人の良さもある。
彼は本当に妻が好きで、一生添い遂げると信じて生きてきた。不憫に思えるほどに愛していたのだ。その妻との暮らしはすでに終わってしまっている。共に暮らした日々は過去のことへの変質した。良いことも悪いことも閉じてゆき、もう元に戻ることはない。次の章へ進むしか選択肢はないのだ。そうした人生の節目を捉えたラストには、とても胸を打つものがある。カーヴァーは締め方がとても上手な作家だが、この最後の一行は一つのピークだと思う。