『シェイディー・ヒルの泥棒』 ジョン・チーヴァー

チーヴァーは不思議な作家で、読み終えた後にすぐに読み直したくなる魅力がある。いくら読んでも疲れない。

訳者の村上春樹氏が巻末の柴田元幸氏との解説対談の中で、チーヴァーと似た印象を持つジャズミュージシャンは?の問いにアル・ヘイグと答えている。私はジャズに無知だが、知的で趣味の良いピアニストとのことでYouTubeで聴いてみた。

確かに共通する透明感があるかも。ずっと聴いていられる感じも似ている。

『シェイディー・ヒルの泥棒』も、泥棒という物騒なワードに目が行くが、まるで野蛮さはなくどこか上品でさえある。

原題はThe Housebreaker of Shady Hill。housebreakerはイギリス英語では家の取り壊し業者だが、アメリカ英語では押し入り強盗のことらしい。と言っても、『シェイディー・ヒルの泥棒』で描かれているのは力ずくで金品を奪う強盗ではなく、深夜に知人の家にすうっと入り込み、そっと財布を盗む静かな泥棒である。

Shady Hillというのはチーヴァーが考えたニューヨーク郊外の架空の高級住宅地。チーヴァーが実際に住んでいたニューヨーク州ウェストチェスター郡北部のオシニングの町がモデルになっていると思われる。オシニングといえば、コロンボのピーター・フォークの出身地としても知られている。そんなに知られていないかな。

ウェストチェスター郡には富裕層の邸宅が多い。マンハッタンへのアクセスが良く、治安も悪くないため、日本企業の社員もかなり暮らしているようだ。和食のレストランなども多く、小規模な日本人街と呼べるようなエリアまであるらしい。

『シェイディー・ヒルの泥棒』はチーヴァーの短編ではかなり有名で、『泳ぐ人』と並んで研究対象として分析されまくっている。

ジョニー・ヘイクという36歳の男性の一人称で話は語られる。ヘイクは美しい妻と4人の子どもと高級住宅地に暮らしているが、失業したことで生活が破綻しそうになり、近隣に住む裕福な知人宅に盗みに入る、という哀しいストーリーだ。

著者自身が破産した家庭に育ち、作家になってからもかなり困窮していたようで、貧乏でメンタルをやられていく過程がリアルに表現されている。周りがリッチな連中ばかりなため、そのコントラストでこの主人公は余計に心を病む。精神が蝕まれていく感じがこわい。

いろいろと深掘りできそうな短編だがどこか掴みどころがなく、今の私にこれ以上は荷が重い。『泳ぐ人』もそうだが、セレブの世界を描いた作家というイメージとは違い、落ちこぼれ感の強い印象が残った。

個人的にはもっと即物的で骨太な文体が好みだが、チーヴァーの自由闊達さは不思議と嫌いではない。理屈で書いていないからかもしれないが、心に残る短編を書く作家だと思う。

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