久しぶりにカーヴァーの短編集を手に取った。大人になりきれない中高年男性にとって、カーヴァーの短編は鬱誘発剤のように危険だ。この「コンパートメント」もかなりやばい。守るべきものを守らない、責任を果たさない情けない男が主人公で、そういう人間が辿るであろう道がリアルに描かれている。
妻との激しい口論の最中、キレた息子に殴りかかられる。息子を力で押さえ込み、絶対に言ってはいけない暴言を吐く。家族はバラバラになり、何年も疎遠になる。フランスに住む息子から久しぶりに手紙が届き、再会の約束をする。息子が待つ駅へ向かう列車の中で、土産の腕時計を盗まれる。急に息子への嫌悪感が蘇り、待ち合わせの駅についても列車から降りず、約束を破る。動き出す列車。隣の車両にいたわずかな時間に、荷物を置いた車両が切り離されてしまう。言葉がわからぬ異国で、すべての持ち物を失い、乗っている列車がどこへ向かっているのかさえもわからない。
という華のない話だ。この男が被っている災難は、不運によるものではなく、すべて自業自得である。絶対的な愛情も胆力もこの男にはない。カーヴァーが描くのは、怠惰の結果として報いを受けている男ばかりだ。
すべきことをしない男の話は、明るさも爽やかさもないが、小説としては面白い。心が弱く、自分に甘く、だらしない男が堕ちてゆく話は、立派な大人の道徳話より遥かに面白い。一つ間違えれば自分だってああならないとは言えない。失業し、酒に溺れ、子どもがぐれたりすれば…。
カーヴァーの短編に、私たちは成れの果ての自分の姿を見る。はじめに鬱誘発剤と書いたが、これまではどこかで負の象徴であるかようにカーヴァーから逃げてきた。この世界に浸ると、そっちに引き込まれてしまいそうで怖かった。でも、今は直視してしっかり受け止めてやろうという気持ちの方が強い。自分自身の中にもカーヴァーが描く男は間違いなくいる。そのことを否定せず、認めて生きていこうと思っている。