『収集』 レイモンド・カーヴァー

深い。あっという間に読み終わる短編だが、暗示的でとても奥が深い。いつまでも余韻が消えない、読み応えのある名篇だと思う。

『収集』(原題:Collectors)は1975年のEsquire誌に掲載された短編。75年はベトナム戦争が終結し、『ジョーズ』が公開された年だ。

仕事を失い、妻に去られ、経済的にも困窮している男が主人公。この設定、ものすごく既視感がある。この手のカーヴァー作品をこれまでに何篇読んだことか。

男はソファーに横になり雨の音を聞き、手紙が届くのを待っている。世の中から切り離されたかのような閉ざされた空間。そこに太った掃除機のセールスマンが訪ねてくる。「ミセス・スレーターさんにあるものをお持ちしたんです。当選なすったんですよ」と玄関ドアの向こうで言っている。ミセス・スレーターはもうここに住んでいないと伝えるが、男は結局そのセールスマンを家の中へ入れる。ミセス・スレーターが当選したのはカーペットの清掃だった。セールスマンはスーツケースを開けて掃除機を組み立て、長い年月の間に溜まった埃をせっせと吸い上げていく。

カーヴァー作品にして珍しくは、合理的に説明するのが難しいシュールな雰囲気が漂っている。

一通りカーペットの掃除を終えると、セールスマンは帰り支度をはじめる。男が勧めるコーヒーを断り、掃除中に配達されたスレーター氏宛の手紙を拾い上げ、尻のポケットにしまう。「これは私が処理しましょう」と言い、持ち帰ってしまう。

とても短い話だが示唆に富み、解釈が難しいものの、気になる点がいくつもあった。

一つは、この主人公の男は、自分がスレーターであることを決して名乗らない。もしかしてスレーターではないのか。このあたりの表現にアイデンティティの喪失を感じる。

それと、掃除機のセールスマンの名前がベル(Bell)であること。何かを知らせるためにこの男のもとにやって来たと考えることもできるだろう。

そのセールスマンは家に入った途端に具合が悪くなり、アスピリンを飲む。溜まりに溜まった過去の塵の中での暮らしを瞬時に見抜いたかのようだ。

セールスマンのベルはとても知的な人物として描かれていることから、カーペットの掃除を宗教的な贖罪の儀式と捉えることもできそうだ。私の中ではこの解釈が最もしっくりくる。

ラストで、セールスマンは「掃除機はいらないか?」と男に尋ねる。男は、すぐくここを出て行くつもりだからいらないと答える。この短編には人生の一つの章の終わりが描かれているのだ。

うーん、素晴らしい。もう一度読もうかな。

私は短編が好きで、それほど多いとは言えないが、いろいろな作家の作品を読んできた。今、執筆への熱量や推敲に費やしたエネルギーという面で、カーヴァーがトップなのではないと感じている。ショックを受けたのと同時に、大きな目標が見つかったような複雑な気持ちだ。

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